紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

それはいかなる世界から来たのだろうか。

今ヨハネの手紙Ⅰを読んでいるところだ。ヨハネの福音書(紀元八〇年頃)が書かれて程なくこのヨハネの手紙は書かれた。(九五~百年頃)教会内の福音書理解に誤謬が生じ、異端の考え方が教会を席巻した。この手紙はその誤謬をただし、ヨハネの思想を伝えるために書かれたものとされる。そこにあるメッセージは「神は愛である」ということに尽きるだろう。手紙は、神のもとにある人々は互いに愛しあいなさいと勧告する。
さて、この箇所を読みながら私は自分の霊名〈洗礼名)であるリジュの聖女テレジアを思った。テレジアはある高齢のシスターのお世話係をしていた。体の不自由なシスターはいつも大変に厳格で、気難しく、テレジアを叱りつけていた。何をどうやってもテレジアは気にいってもらえないのである。
「毎夕、その姉妹が砂時計を振り動かします時、それは『さあ、出掛けませう!』という合図なのです」
テレジアはありったけの勇気を奮い起こして立ち上がる。
「先ず腰掛けを一寸動かしてそれを持って行くのですが、それにも或る特別な仕方があり、殊に急ぐのは大禁物です。それから歩き始めます。革帯に手をかけ、この姉妹の身体をを支へるやうにしてついて行くのでございます。出来るだけ静かにいたしますが、それでもついうつかりして躓いたりいたしますと、その姉妹は直ぐに私の支へ方が悪いためだと思つて転びさうに感じ、『ああ、ああ、そんなに急いで……!怪我をするではありませんか!』と言ひます。そこで今度は少しゆつくり行かうといたしますと『さあ……私についていらつしゃい。一体支へて下さるのですか?貴女が手を放すから転びさうになるではありませんか? ああ! 矢張り思つた通り貴女は余り若くてとても私を連れて行くには不向きです』と申します」なんとか無事に食堂にたどりつくと痛みを覚えさせないように特別な仕方で着席させ、袖を折り曲げる。そしてようやくその姉妹から離れることができるのだった。だがテレジアはそのシスターがパンを切るのにとても苦労しているのに気づく。それ以来いつもパンを切ってから初めて傍を離れるようにした。このことは一度も頼まれたことはなかったので、「かういふ何でもないことによつて」テレジアはやがて信頼を得ることができるようになった。信頼を得ることができるようになったもう一つの理由があった。それは、テレジアが「このシスターに得も言われない美しい微笑みをするのが常であった」からだという。
テレジアは辛さや苦しさを神への捧げ物としていたので、苦しいことがあればあるほど嬉しいのだった。だからこそ、微笑んでいたのだろう。だがそれだけではなく、やはり神の愛を実行していたのに違いない。私だったら、微笑むことができるだろうか。

また私はもうひとつの微笑みを思い出した。今年(二〇一六年)七月二日に、作家のエリ・ヴィーゼルが亡くなったことを朝刊で知った。エリ・ヴィーゼルは『夜』(みすず書房)という作品で、自身の子供時代の体験を書いていた。ユダヤ人の強制収容所に送られたエリは父と一緒に雪の中を行進させられた。行進は駆け足にかわり、リズムに乗れない囚人は射殺された。痛む足を引きずってエリは走った。
「『あと数メートル、そうすればおしまいだ。ぼくは倒れるだろう』死がわたしをくるんで、いまにも窒息しそうであった。死が私に貼りついていた。触れれば触れられるだろう、という感じであった。死ぬのだ。もういなくなるのだ。という考えが私を呪縛しかけていた。もう存在しなくなる。もう足のものすごい痛みを感じなくなる」
死はむしろ誘惑であった。しかし、少年エリは父ゆえに耐えようとした。
「父は、私の横を、息を切らし、力も尽きかけて、追いつめられて走っていた。」「私は父の唯一の支えであった」
果てしない道を少しも速度を落とすことを許されず、時々ほとんど眠りながら走っていた。手足は寒さに麻痺し、咽喉は乾き、腹は減り、息は絶え絶えになりながら。七〇キロメートル進んでからさらに一時間走った。やっと休憩の命令が来て、雪の中にへたりこむ。
父親は近くにあった煉瓦工場の廃屋へエリを連れて行く。そこには既に囚人達が入り込んで倒れ伏していた。エリはたちまち眠ってしまうのだが、父親に起こされる。このまま眠ったら死んでしまうからだ。ようやく瞼をあけたエリの目に、父親の姿が見える。
「一晩のうちに、父はなんと老け込んでしまったことか!身体はすっかりよじれ、ちぢこまっていた。目は石のようになり、唇は色褪せ、腐っていた。声は涙と雪とでしめっぽかった」
ふたりはいったんはそこを出たが、死にゆく囚人達で屋外もひしめいていた。しかも凍てついた風が顔を鞭打った。
「唇が凍りつかないように、絶えず唇をかみ続けていた」
二人はもう一度工場へ戻り、交代で眠ることにしたが、眠りは死に直結していたのである。エリは父親が眠ったのをみて、「目を覚ましてよ」と囁いた。
「父はぎくっとした。彼は座りなおして、途方にくれ、茫然とした面持ちであたりを見回した。孤児のような目つき。まるで自分の世界の財産目録を作成し、いかなる場所に、いかにして、なにゆえに来ているのかを知ろうととつぜん決意したかのように、まわりのあらゆるものをひとわたり見渡したのである。それから彼は微笑んだ。
私はこの微笑をいつまでも覚えているであろう。それはいかなる世界からきたのであろうか」
私はこれまでの人生で何度この言葉を思い出したか分からない。まったく、その微笑みはいかなる世界から来たのだろう! 空腹と疲労と痛みと寒さ、霏霏とふる雪の中で、命の限界に近い状況―それはもはや絶望的な瀬戸際としか言いようがなかった。その時のその微笑み!
過酷な体験によりエリは神を失ったとする読み方もある。だが私は、たとえエリが神を失っても、神はエリを失わなかったと思うのだ。その微笑みのことは、エリが書き残したことによって、世界中の人々の知るところとなる。その後、エリはこれらの著作によってノーベル平和賞を受賞した。私はエリが書いてくれたことに、感謝している。多くの読者も同じに違いないと思う。
その「微笑み」は世界と世界が魂に及ぼす過酷さを受容したことを思わせた。とてつもなく深くて言語化することは難しいが、そのような微笑みを微笑むことが出来るのは人間だけなのだ。
「夜」はこの苦しい夜のあとにも続き、エリは弱り切った父親にわずかな食べ物を探しては食べさせたが、ついには父の死を願いさえしたと書かれていた。

私は今日、二つの微笑みを思いながら聖書を読んでいた。人間のすべてのおこないの果てにある微笑みは、やはり私に深く語りかけてくるような気がする。
2016・秋