亡夫市原克敏が三十二年間編集に携わっていた歌誌「林間」から、巻頭に載せる原稿の依頼を頂いた。市原の歌について書くように、とのこと。難解歌で知られる歌人だったが一回四百字ということで三回に亘って書いた。このような機会を頂いたことに感謝している。
惑いつつ舌に吐きだす一語一語呪わざれども神を刺ししよ
林間一九八一年一月号
一九八一年一月号の林間誌上の「ヨブ」の一連の歌から曳いた。ヨブは旧約聖書の物語の登場人物。裕福な義人であったが神の試練にあって全財産と家族を失い自らは皮膚病になって土器のかけらで身体を掻き毟りながら灰の中に座していた。人々はヨブの不運は因果応報であるというがヨブは神に向って問い続ける。無言の神に向ってどこまでも叫び続ける。
おそらく克敏は自分を現代のヨブだと思っていた。全世界の不条理に対する「何故」の問いかけは、終生変らぬものだった。ある時は皮肉にある時は揶揄的にある時は切実にある時は自嘲をこめて。いま林間を読み返し遺歌集を読み返し、克敏の歌はついに神への問いに貫かれていたように思われる。
一九七〇年(三二歳)から林間に加わり亡くなる二〇〇二年まで編集部にあった。また晩年の五年間は朝日新聞社の「短歌朝日」の編集にも携わった。
そうなのかこんなところに来てるのか深い河から星が溢れる
遺歌集『無限』より
死のちかい日に詠んだ歌。「こんなところ」の「こんな」という言葉が、初句の「そうなのか」とあいまって不思議な臨場感を与える。それはどのような所なのか分からないが、作者が深く到達した「こんな」所である。「ところ」とは空間であるとともに時間を指しているように思う。人生の様々な段階を時間と共に経て来て今こんなところに到達した。それは言ってみれば「どんづまり」「終着点」であり、引き返すことの出来ない終末を指している。それなのにそこは深い河から星がとめどなく溢れている、静かで清冽な、広々としたものを感じさせてくれる。絶望というよりは突き抜けたような晴朗な感じを受ける。
夫が亡くなって十六年になる。道を歩きながら、あるいは珈琲を飲みながら、あるいは夜、ふと目をさました時、何度この歌を想うことだろうか。
大好きだったモーツアルトの楽曲の一節のようにも思えてくる。
ふりむけば髪かきあぐる一秒の永遠という路上の出会い
同
初出は林間二〇〇〇年六月号で、病気が判明する半年ほど前。『無限』の集中、何故か人々に愛された一首。その理由を考えてみた。一つはふりむいた時の対者の仕草である。髪に手をふれる仕草は相手へのエロス的な関心を表すものだと言われる。路上にあるその人の瑞々しい美しさが目に浮かんでくる。そして髪を乱して吹きすぎる風のきらめきが彷彿とする。
さらには一秒の永遠という言葉が続く。一秒(一瞬)と永遠を時間という概念で括ろうとすると読みきれないものが残る。一秒と永遠は矛盾しない。永遠は一秒の対立概念ではもとよりない。むしろ「一秒の中にこそ顕現する永遠」があると、作者は思ったのではないか。そして読者がこの歌に惹かれるのも、そういう「永遠」に実は覚えがあるからなのではないだろうか。
病いに魅入られた克敏はこのあと死へむかって苦しい歩みを強いられることになるのだが、この一首にはタナトスを凌駕するエロスの喜びが輝いている。
2019・1