文京区の教室で佐太郎の『帰潮』をテキストに勉強を始め
た。たまたま私が当番にあたったので、『帰潮』にかかわる
あたりまでの略歴など見ながら、書いてみたい。
一九〇九年生まれ 一九八七年没 宮城県大河原町に生ま
れた。農業を営む父源左衛門、母うらの三男。幼時両親とと
もに生地を離れ、いったん鹿島灘の開拓地に入ったのち、茨
城県平賀町に移住。同地で成育。尋常高等小学校卒業後、次
兄を頼り上京。予備校に籍をおいたもののもっぱら図書館に
通い、二十五年、岩波書店に入る。その間、しばらく精神に
安定を欠いてしばしば故郷との間を往還する。雑誌を通して
斎藤茂吉の歌を知り、岩波の同僚の手ほどきで作歌に入る。
二十六年秋ごろ、(十七歳)アララギに入会。二十七年四
月より茂吉の選を受けるようになり、生涯の師となった。鬱
屈した心情を先鋭な感覚でもって家居日常、通勤往来の嘱目
の中にとかしこみ、特異な存在のアララギ系の新進として歌
壇の期待を集めた。四十年七月、歌壇の新進をあつめた『新
風十人』、〈八雲書林)に「黄炎集」一八三首をもって加わる。
斎藤史、五島美代子、前川佐美雄、坪野哲久、福田栄一といっ
た、戦後歌壇に至る短歌界を担うことになる俊英たちと肩を
並べることになる。(「アララギ」からは佐太郎ひとりが参加)
同年九月、処女歌集『歩道』を発行。たちまち三版を重ねる
ほどの評判を呼ぶ。通勤者、あるいは都市生活者としての、
その鬱屈した日々の生活感情を、都市の風物に託した抒情が
受け入れられたものと考えられる。
第二次世界大戦が勃発するまでのあいだに『軽風』『し
ろたへ』を刊行。四五年、戦局の急迫とともに、妻子を茨城
に疎開させる。その一方、若い歌人たちを率いて勉強誌「歩
道」を創刊した。東京大空襲で家財を失い、茨城へ自身も疎
開した。
終戦後、しばらくはアララギの編集に携わる。また、中断
していた「歩道」を復刊し、軸足を「歩道」へ移してゆく。
青山南町に住み、養鶏を営む。五二年(四三歳)の時に佐太
郎の戦後を代表する歌集『帰潮』を刊行。
(現代短歌大辞典、今西幹一氏による)
作風
生涯を通して写生を信条とし、それを守り通した歌人。そ
の抒情の間口は、無機的に客観写生による形象化に徹した一
方の極から、境涯の陰影を帯びた事物の形象に至る極までの
幅員をもち、その奥行は懊悩呻吟する奥底から発するたまし
いの真率の声を響かせている。 〈同)
歓びて怒ることなき明暮を吾はねがひて幾年経けむ
『帰潮』冒頭近くに置かれた歌。一九四七年(昭和二二年)
に書かれた。まだ戦後間もない頃で佐太郎三十八歳、図書出
版「永言社」をおこした頃と思われる。自身の第四歌集をこ
の会社から刊行している。だが、この会社はうまくゆかなかっ
た。
戦後の生活の大変さがこの歌から感じられる。何年たって
も安定しない生活が偲ばれる歌である。どんな怒りがあった
のか、そのことは書かれていない。この『帰潮』冒頭の歌「苦
しみて生きつつをれば枇杷の花終りて冬の後半となる」の
「苦しみ」同様、ここでも内容は省かれ、感情がストレートに詠
われる。結句「幾年経けむ」にはこの時代を生き抜いてこれ
からも生きてゆくことの辛さがにじみ出ていると思う。
胸にふく嵐のごとくかくありて怒のために罪を重ぬる
前掲歌に続けて詠まれている。どのような罪なのかは分か
らないが、運命か、神にむかっての呪詛のような響きが感じ
られる。様々に不如意がつづけば心が荒んでくるのである。
おのが罪を怒りのためと断言する、自己を見つめる目が冷徹
だ。
聞こえ来る夜のひびきは春の嵐まぼろしのごと吾は疲れて
この歌は奇妙な言葉の作用をもっている。まぼろしのごと
という言葉がどこにかかっているのか、一読わかりにくい。
ふつうなら「まぼろしのごとく疲れる」とよみたいところだ
が、疲れるという状態は まぼろしのごとく、という比喩が
あわないのである。 だから、春の嵐がまぼろしのごとくな
のではないかと思う。あまりにも疲れているから夜のすさま
じい嵐の音までが幻聴のようにしか聞こえないという。
潮のごと騒ぐこころよ火をいれぬ火鉢によりて一時をれば
印象深い歌。火をいれぬ火鉢、が唯一の具体だがとてもリ
アリティがある。潮のごとくこころ騒ぐという比喩が共感で
きる。自分のこころを対象化するのは難しいものだが、この
歌は説得力があると思う。
道の上にあゆみとどめし吾がからだ火の如き悔に堪へんとしたり
歩きながら何かを思い出したのかもしれない。悔は不意打
ちをし、歩みを押しとどめた。「吾がからだ」というところ
に不思議な客観性が表れていると思う。悔は、結局どうしよ
うもないものだ。どうしようもないから「悔」なのであるか
ら。なんであれそれは、取返しのつかないものだ。「堪える」
ほかないものである。真摯に感情とむきあう若々しい精神が、
好ましく思えた。
さて、佐太郎といえば有名な歌として、次の歌が思い浮かぶ。
冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ
『形影』
あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼
『帰潮』
冬の日の眼に満つる海のあるときは一つの波に海は隠るる
『開冬』
これらの歌を読むと何か言語に絶するものを感じる。対象
に食い込む画家の眼を、存在に思いを凝らす哲学者や詩人の
眼を感じる。歌を読む事の喜びはここに尽きるとおもわれて
くる。