紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

旧約聖書を初めから読んでゆき、やっとリアルな人物像に出会ったと思うのがアブラハムである。
 その生涯は、あらまし次の様に書かれている。
 父親テラには、アブラハムの他に二人の息子が生まれた。末の息子にはロトが生まれたが、父より先に、ロトを遺しウルで死ぬ。テラは息子二人とその妻達そして孫のロトを連れてカナン地方を目指した。しかしハランまで来ると、テラは死ぬ。
 アブラハムはハランを出発するようにとの神の言葉を受けて、ロトと自分の妻サラ、財産をすべて携えてカナン地方へ入る。神はアブラハムに現れ、「あなたの子孫にこの土地を与える」と言われた。そののち、飢饉があって一時エジプトへ逃れる。その後、アブラハムとロトは別れた。お互いに家畜も増えて一緒に住むには土地が十分でなかったからであった。ロトはヨルダン川流域の低地、見渡す限りよく潤っていた土地を選んで移ってゆく。。アブラハムはカナン地方に住んだ。その頃ソドム、ゴモラなどの王国の戦いがあった。ソドムに住んでいたロトは巻き込まれ、財産もろとも連れ去られる。しかし、アブラハムはその知らせに直ちに身内の者たちを引き連れて遠征し、ロトとその家族、そしてロトの財産を奪還する。その後、神はアブラハムに臨んだ。アブラハムから生まれる子から子孫は増え、天の星のようになる、と。アブラハムの妻サラは不妊のまま老いていた。子どもが生まれるという神の御言葉が成就するとは思えなかった。サラは女奴隷をアブラハムの側女として、イシュマエルという子供を得た。そののち、神の御言葉が再び下り、百歳の彼と九十歳の妻に子供が生まれるという。ふたりはひそかに、そんなことはありえないと笑う。しかし妻は身ごもってイサクを産んだ。イサクの名は「彼は笑う」の意味。さてそのイサクが少年になったある日、神はアブラハムを試みた。モリヤ山に行ってイサクを焼き尽くす捧げものとして捧げよ、というのである。アブラハムは次の日イサクと出発する。三日めにモリヤ山に到着すると、アブラハムは焼き尽くす捧げものに用いる薪をイサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持ち、二人で一緒に歩いてゆく。イサクが捧げ物の子羊はどこにいるのか、と父に問うと、「子羊はきっと神が備えて下さる」と答えた。そののち、祭壇を築く場所に到着すると、アブラハムはイサクを縛って祭壇の薪の上にのせ、刃物を取り、息子を屠ろうとした。その瞬間に神の声が聴こえる。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが今分かったからだ。あなたはひとり子をさえ私に捧げることを惜しまなかった」 
 以上が、おおまかなアブラハムの物語である。
  
 アブラハムはおそらくBC一七〇〇年か、一八〇〇年頃の人であろう。モーセがエジプトから民を脱出させたのがBC一二五〇年頃だが、その出来事はヨセフ(アブラハムの曾孫)がエジプトにいた頃より四〇〇年が経っていたと、聖書に書いてある。だから、ヨセフの生きていた時代はBC一六〇〇年代ということになる。それより三世代前である。一世代を三〇年とすると、アブラハムが生きていたのはそれからさらに九〇年程さかのぼることになる。
 アブラハムは信仰の父、大いなる国民の父と呼ばれている。もともとはメソポタミア地方の、ウルに一族は住んでいた。しかし、アブラハムの父テラは、おそらく食い詰めて、生活の基盤を求め、家族や家畜を伴ってカナンを目指して出発する。カナンは、メソポタミア地方から見るとはるか西にあるのだが、その間には広大な荒れ野がひろがっており、旅することは困難だった。だから、彼らは大きく北へ迂回路をとった。ユーフラテス川にそって北へ北へと進み、そこから西へと曲がって、かなり進んだあたりでテラは死んでしまう。聖書には、テラが何故死んだのかは書いていない。それはハランという地であった。夜な夜な聖書を読みながら、私は飽かず古代の地図を眺めた。ウルからカナンの中央あたりまでが一六〇〇キロ。ハランは全行程の真中よりすこしカナンよりの地。はるばると夢をもって北上していたテラはあわれにも死んでしまった。私はその死をしみじみと思って夜をすごしたこともあった。そして、こんな短歌を詠んだ。
 
  ウルを発ちハランに死せるひとありき古代の地図にたゆとう駱駝
 
 思うにハランは旧約聖書を読む時にかなり重要な地名である。アブラハムは兄弟やその家族とハランで長く暮らしていた。そして、神の言葉に答えてアブラハムが甥のロトを伴って、ハランを発ち、カナンへ向かったのちも、アブラハムの弟はそこに住んでいたのである。この地はアブラハムの故郷と言っても良いだろう。息子のイサクも孫のヤコブも、結婚の時期がくるとカナンの女ではなく、はるばるハランまで妻を求めてゆくのだ。おそらくカナン地方には豊穣の神々を祀る土着の宗教があり、それに染まってしまうことを怖れたのではないか。男たちはえてして、妻の宗教を受け入れてしまうからだ。このことは、列王記などを読んでゆくに従って実に明らかなのである。歴代の王たちは妻の信じる偶像崇拝を、或いは母親の信じるそれを、たやすく受け入れてしまうのだ。
 七十五歳のとき、ハランを出て「わたしの示す土地へ」行きなさいと、神の言葉がアブラハムに下った。「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」アブラハムはその土地のことを知らなかった。しかしハランでの平穏な生活を直ちに棄てて、彼は妻のサラと甥のロト、蓄えた財産を携えて出発した。アブラハムには子 がなかった。甥のロトは、早くに亡くなった弟の息子である。とても大切にしていたことは、王たちを向こうに回してでも闘ってロトを救出した出来事からも想像できる。アブラハムという人物は単なる遊牧民ではなかった。彼は傭兵になったこともあるらしい。いわば流浪の民であったアブラハムの一族は、このように居留の辛酸を舐めて暮らしていた。そこから、アブラハムの生活力と芯の強さが培われたのであろう。甥のロトが王たちの戦いに巻き込まれ、財産もろとも連れ去られたこの一大事件の時は、奴隷で訓練を受けたもの三一八人を招集して、ダンまで追跡し、全ての財産とロトを奪い返したと、聖書は記す。

 カナンにたどり着いても苦労は尽きなかった。飢饉である。アブラハムはエジプトへ移動し、一時そこに滞在する。美しい妻を奪われて自分が殺されるかもしれぬと怖れ、妻を妹と偽った。この話は、サラの非常な美しさと、エジプトの人びとの野蛮さと、アブラハムの周到な性格とが実によく滲み出ているような気がする。エジプトは意外にカナンから近かった。多分当時の行程で七日ほど。そして地中海に面した肥沃なデルタ地帯などには、豊富な食糧があったようだ。
 聖書に書かれている年齢はどうもはっきりしないのだが、少なくともこの時サラは六十五歳以上だったはずだ。余談だが、テラの亡くなった時の年齢が二百五歳である。もっとさかのぼって例えばノアは九百五十歳とある。創世記の語る人々の年齢は、創世記と出エジプト記、すなわち神話的世界と歴史的世界のあいだの時間的なつじつま合わせのためにかくも長命であったと、一説には言う。
 アブラハムの物語の中で、側女ハガルとその子イシュマエルの話は、触れないわけにはゆかないと思う。サラが自分に子がないので、ハガルをアブラハムのところへ行かせたのであるが、ハガルは自分が妊娠するとサラを軽んじる。サラは怒ってハガルを荒れ野へ追いやってしまう。しかしハガルは荒れ野で天の御使いに出会い、サラのもとに戻って従順に仕えなさいと諭された。この話は、同じパターンでもう一度出てくる。すなわちサラに奇跡の子イサクが与えられた時、ハガルの子イシュマエルがイサクをからかうのを見て、サラが激怒して二人を荒れ野へ追放するのである。アブラハムは、イシュマエルのことを思って非常に苦しんだ。イシュマエルも彼の息子であるにはちがいないのだから。アブラハムが持たせてくれたパンと水の革袋を背負い、ハガルは子供とともに荒れ野を彷徨う。水が尽きるとハガルは子供を一本の灌木の下に寝かせ、自分は子供の死ぬのを見るに忍びないとて、「矢の届くほど」離れ、子供の方をむいて座り込み、泣いていた。子供も泣いたのであろう。
 神はその子供の声を聞かれ、御使いを通して次の様な言葉をハガルにもたらす。
「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。私は、必ずあの子を大きな国民とする」。
 この言葉のなんとも細やかな優しさに、私は慰められる。そして、実際にイシュマエルはそののちパランの荒れ野にあって弓を射る者となったと、聖書は語る。イスラムの伝承によると、このイシュマエルこそはアラブ人の太祖となったのである。
  
 イサクの奉献については聖書の記者はアブラハムの絶対的な従順を物語る。もし私だったら、子孫も土地も何もいらないから我が子を奉献することだけは許してほしい、と言うだろう。芥川龍之介の「杜子春」の物語を思い出す。仙人になりたくて、どんな試練があっても声を出すなといわれた杜子春だが、自分の両親が畜生道におちて鞭で叩かれているのを幻視し、「お母さん!」と叫んでしまう。そのことによって杜子春は救われる。
 アブラハムに葛藤はなかったのか。私は、葛藤がなかったはずはないと思う。葛藤があったからこそ、それは「試練」と言えるのだから。
 イエス・キリストの死の意味も、私は葛藤にあると思うのだ。イエスはやすやすと死に赴いたのではなかった。オリーブ山で、神に「出来ることならこの盃を退けて下さい」と、血の汗を流して祈った。むしろ肉体の死を正面から見据えていた。戦慄的なその葛藤こそが、イエスの死の意味ではないだろうか。もし私が、アウシュビッツにあっていままさに死のうとしているとしたら、そんなふうに苦しんだイエスに向かってなら、祈ることが出来ると思う。なんの葛藤もなく一点の懊悩もなく、死に赴いたとしたら、その死はもう人間の死ではない。
 だから、アブラハムだって、聖書には何も書いていないが、苦しかったと思う。イサクは不妊の妻からやっと奇跡的に生まれたたった一人の息子。どれほど慈しんで育てたことか。その子供をむざむざと捧げよという。アブラハムは、神に何も問いかけること無く従ったのだろうか!聖書には何も書かれていないのだ。
 モリヤ山を登ってゆきながら、イサクが不思議がって、子羊は何処にいるのかと尋ねたとき、アブラハムは「神が備えて下さる」と答えた。この時の、若いイサクの素朴な声が耳に聞こえてくるようだ。多分、この段階では、アブラハムは自分の言った言葉を信じていたのだと思う。しかし、いよいよ奉献の時が来て、イサクを縛り、薪の上に横たえた時……ああ、私にはアブラハムの心が解らない。私の限界であり、また人間の限界かもしれない。神は、人間の理性ではけしてわからないことをされるのだろう。

 アブラハムに神の御使いは言う。「わたしはあなたがこの事を行い、自分のひとり子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」すなわちユダヤ民族の選民たる所以はここにあるだろう。しかし続く一節で聖書は重要なコメントを付け加えているのである。「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」と。すなわち、選ばれた民は、選ばれなかったすべての民の為に選ばれたのだ。選民の本当の意味がここに在る。聖書を学ぶまでは、この重要なメッセージを私は読み過ごしていて、自分が異邦人であることにこだわっていた。
 
 その当時もその後もカナン地方の偶像崇拝には、初子(長子)を焼けた祭壇に、火の上に載せて捧げるという儀式があり、イスラエルの神はそれを最も忌み嫌ったと聖書にはある。私には、この物語にはそんなカナン地方の慣わしの影響も感じられる。
 ところでモリヤという地名だが、これは後に、ソロモンが神殿を建てたところ、そしてイエスが磔刑されたかのエルサレムのことである。  2014/6