紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

聖書を最初から最後まで三年半かかって読み通すという講座「聖書百週間」に通い始め、二回目ももうすぐ終わる。二回目は奉仕者コースというコースで、このコースを終えると色々な教会へ派遣されて講座を受け持つことになる。私はそんなだいそれたことは出来ないと思ったが奉仕者コースの深さに引かれて通い続けていたのだった。
洗礼を受けて数年経った時、カトリック信者であるということは何らかの奉仕活動を伴うものなのだということを感じるようになっていた。教会の掃除やホスピスの手伝いやホームレス支援、バザーの手伝いなど様々なことがある。教会のミサのときにこんな歌を歌うことがある。「呼ばれています いつも 聞こえていますかいつも はるかな遠い声だから よい耳を よい耳を持たなければ/召されています いつも 気づいていますか いつも はるかな険しい道だから よい足を よい足を持たなければ」
この歌を歌うとなぜか涙が出て仕方がなかった。一体私は何処にどう呼ばれているのだろうと思い、どう答えたものかと戸惑い、結局焦りを感じるばかりだった。
私はずっと、知り合いの神父のホームレス支援を手伝いたいと漠然と思い続けていた。しかし姑の介護があって時間がとれなかった。そのうちに姑が亡くなったが、同時に私の体力も大幅に衰えてきて、肉体作業が不向きであると痛感するに至った。
私が悩んでいた時、友人が私に「マリアとマルタの話」をもとに、私の行くべき方向を示唆してくれたのだった。それはこんな話である。
イエスが宣教生活の中で立ち寄った家に二人の姉妹がいた。姉のマルタはイエスをもてなすための食事の支度を忙しくしていたのに妹はイエスの足元に坐って話を聞いていた。マルタがイライラして、イエスに、マリアにも手伝わせてくれと言った時、「静かに坐って私の話を聞いている、マリアこそは正しい方を選んだのだ」とイエスが応える。
私は極めてマルタ的な人間だと思うのだが、姉はよく若い頃から、姉がマルタで私をマリアだと言っていた。そう言われてみるとマリア的なところもある。むしろそのほうが自分にとって本来的なのかもしれない。
私は心のなかでいつかは「聖書百週間」という活動を担おうと決心した。もし私に要請があったら、ためらわずに引き受けようと。今年二月頃、指導者のシスターに別室に呼ばれて、私に講座を受け持つように頼まれた。場所は川崎の鷺沼教会。私は即座に引き受けた。鷺沼が何処に在るかさえ知らなかったのだが。私の家から一時間半ぐらいかかる。
五月の連休明けから講座が始まるということだった。私はシスターから話があってまもなく、一体どんな教会なのだろうと、一人で見にいった。渋谷から田園都市線で多摩川にかかる鉄橋を越えて川崎方面へ向かう。鷺沼は起伏のある町で、てくてく歩いてゆくと、遠く谷間になっているところが見晴らせた。そこにも家々が立ち並んでいた。春の光の中になんとなくキュートな感じのする家並みであった。丘の道には水仙が咲き並んでいた。建築中のマンションなどもあって只今開発中という感じもする。やがてめざす教会があった。敷地の端にはマリア像があり、会堂は百席ぐらいの広さ、ステンドグラスの光が差し込んでいて、静かだった。会堂の傍らには白い二階建ての司祭館があった。 すべてが整えられ、美しく、しかもオープンな印象を受けた。ここが私の行く教会なのだと思ったら、嬉しさが込みあげてきた。
4月のある日、説明会があった。 20人ぐらいの人が集まった。講座は10人ぐらいが適正とされている。少し多い感じがした。自己紹介のとき、私はこんな話をした。
3年半というのは随分ながい。旅に出るようなものだと思う。しかしそれは私にとって嬉しい旅である。
キリストが十字架で亡くなったあと、二人の弟子がエマオという村へ向って歩いていた。キリストは自分の最後を予感して皆に話していたが、弟子たちはとんと分かっていなかった。なにしろ、「弟子の中で一番偉いのは誰か」などと他愛無いことでけんかしたりしていたのだから。だから十字架で殺されてしまったことは本当にショックだったであろう。この二人の弟子も、すっかりしょげ返ってトボトボと歩いていたのだった。すると、一人の旅人が道連れとなる。その人は、その当時あんなに話題になっていた磔刑 事件を知らない様子なのだ。そして三人は色々と話しながらエマオへ向かう。旅人は聖 書に在る色々な話をしてくれた。二人はその人に「もう遅いし、あなたも宿に泊まりませんか」と言って誘い、宿の食卓につく。旅人がパンをとって裂いた瞬間、弟子たちの目が開いて、その人がキリストであったことを知る。その直後、キリストの姿は消えた。
私は自分に与えられた三年半の旅をエマオへの旅だと思っている。いつもキリストがともに歩いていてくれる旅であるから、至福の旅なのだ。実際、まったく不安感はもっていない。すべては導かれてゆくであろうから。
私は以上のようなことを、つっかえつっかえ話した。みな心をこめて聞いてくれていた。発足してみると曜日や時間の都合で結局このクラスは17人(神父と私も入れて)になった。他に希望者が多いのでもう一クラス、秋に発足したいとのこと。
今まで何年も通って学んできたことだが、人にそれを伝えるとなると全く違う。何が違うのかというと、理解の深さが違うのだ。とにかく一言一句間違えないように、手元のプリント類も全てノートに書き写し、頭に入れておく。
私はやっと自分のミッションが見つかったような気持だ。残る人生の時間を大切に、ミッションを果たしきるように、怪我や病気に気をつけて、一生懸命やりぬこうと思う。
「宗教に凝り固まっている」という風に見えるかもしれないが、それでも良いと思う。私の信じている神が幻想に過ぎないとしたら、もしそうだったとしたら、私の生そのものも幻想だと思うのだ。大きな幻想の中に生きて死ぬ。それも嬉しいではないか。