旧約聖書を読み続けているうちに、私は一つの重要なことに気づいた。それは、イスラエルの民にとって、「バビロン捕囚」という出来事は他の様々な歴史上の出来事とは画然と区別されるべき出来事であったことだ。それは一つの国の恐るべき終焉を意味し、旧約聖書の一連の物語の大団円であった。
その出来事をめぐって偉大な預言者たちが活躍した。イザヤ(第一イザヤと呼ばれる)しかり、エレミヤしかり、エゼキエルしかり。
私達がこんにち、これらの預言の書に接することができるのは、逆説的な言い方だが、あの恐ろしい歴史の大団円があったればこそであろう。
それは、一体どんな出来事だったのか。聖書を紐解くと、列王記に詳細が描かれており、また歴代誌にも別な視点で纏められている。
バビロン捕囚という大団円にいたる経過は次のようなものだった。
ソロモン王の死(紀元前九三三年)ののち、パレスチナ地方は北イスラエルと南ユダという二つの王国に分裂した。まわりにはエジプト、アッシリアなどの大国をはじめ、敵国が絶えずこの二つの王国を狙っていた。地中海に面した豊かなパレスチナ地方を欲しがっていたのである。紀元前七二二年ついに北イスラエルの首都サマリアはアッシリアによって陥落した。
アッシリアはなぜか征服した国の住民を、他の民(自分たちが攻め滅ぼした国々の住民)と入れ替える。このため、首都サマリアを初めとするサマリア地方の人々は追い散らされてしまい、そこには異邦の民が連れてこられ、棲み着いたのだ。彼らは偶像崇拝とともにユダヤの唯一神をも礼拝していたようである。
そのようにして北イスラエルが滅んだ後、残った南ユダはどうなったか。
アッシリアは嵩にかかって、南ユダを襲おうと狙う。そこで南ユダの王ヒゼキヤはエジプトにすりよって、同盟を結んだ。これを見たアッシリアは激怒した。紀元前七〇一年エルサレムを包囲。危うく占領されそうになったが、多額の金銀を収めて何とかこれを回避することができた。
このころに活躍したのが預言者イザヤとその率いる預言者集団だった。イザヤは南ユダが経済的に比較的安定していたウジヤ王の治世の終わり頃(紀元前七四〇年頃)からウジヤ王につづく五代の国王の、約四〇年間を預言者として活躍した。
イザヤはヒゼキヤ王に神の託宣を告げる。「エジプトにもアッシリアにも偏ることなく、中立を保て。神を信頼して信仰に基づいた政治を行え」と。イザヤの中心的なメッセージは次のような印象深い言葉で告げられている。
「気をつけて、冷静にしていなさい。恐れることはない」(イザヤ書第七章四節)フランシスコ会訳)別の訳では「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」(同、新共同訳)
この言葉を読むだけで、いかに当時の人々がうろたえ、右往左往していたかが逆に察せられようというものだ。獰猛さで世界に知られたアッシリアという国への怯えがひしひしと伝わってくるように思う。それに対する預言者の言葉の、この揺るぎなさはどうだろう!
イザヤははじめの頃から「残りのもの」という思想を展開する。残りのものとはうち滅ぼされてもなお残る少数者、新しい神の民についての預言である。
「インマヌエル」という名の男の子が生まれること。その子が救いの徴である。インマヌエルとは、信じるものと共に神はいますという意味である。この子についての預言はアハズ王に対してなされており、イザヤはアハズ王の子ヒゼキヤ王をさして言っているようである。後の世の人々はこの言葉をメシアとしてのイエス・キリストの出現に見立てた。 さて、残りの者についてはさらにイザヤは次の様に語る。「その日、主の若木は美しく、威光に満ち、大地が結んだ実はイスラエルの残りの者の誇りとなり誉となる」(イザヤ書四章二節)あるいは「聖なる種子」といわれる人々についての記述がある。「それでもなおそこに一〇分の一が残る。が……その切株が聖なる種族である。」(イザヤ書六章一三節)あるいは同書一〇章二〇節にも「ヤコブの残りの者」「ヤコブの家の逃れた者」という記述が見られる。
やがて台頭するバビロニア帝国の出現によって、脅威は緩和されたかにみえた。アッシリアは紀元前六一二年には首都ニネベを包囲され、ついにバビロニアに降伏する。(このニネベの廃墟は一九世紀の終わりになって発掘された。)だが喜ぶのは早かった。バビロンだって全然甘くはなかったからだ!
さて、この時代のユダの王ヨシヤは、ヒゼキヤ王の曾孫にあたる。当時北にも南にも蔓延していた偶像礼拝を禁じ、国内と北イスラエルに残っていた偶像礼拝の聖所をことごとく打ち壊した。それにはこんな経緯があった。
エルサレムの神殿を改修工事をした折のこと。柱の中から「申命記」の書かれた文書が発見されたのだ。ヨシヤ王二六歳の時。
おそらくサマリヤ陥落の際、北イスラエルの祭司が巻物を持って逃げてきてここに隠したものらしい。これを読んだヨシヤ王は戦慄する。自分たちは神の律法をいかにないがしろにしてきたことか、と。彼は衣を裂き、「我々に向かって燃え上がっている主の怒りがまさに激しいのは、我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、われわれについてしるされていたすべてのことを行わなかったからだ」と叫んだ。(列王記下二三章二九節)そして厳しい宗教改革を断行したのだった。そして彼は「唯一の神は唯一の場所で礼拝しなければならない、それはエルサレムの神殿である」という教義を守ろうとした。
目覚ましい宗教改革を行った王はしかし、エジプトとアッシリアの戦いに介入し、若い命を散らしてしまったのである。(紀元前六〇九年)。すなわち、エジプトの王ファラオ・ネコがアッシリアの王に向かってユーフラテス側の方へと上って来た。ヨシヤ王はよせばよいのに彼を迎え撃ちに出た。そして殺されてしまったのである!。まだ三九歳だった。
人々は王の死をまのあたりにし、動揺する。宗教改革が本当に正しかったのなら、なぜ王は悲惨な死を遂げたのか。偶像を捨てたって、ご利益なんかないじゃないか、と。
このような人々の宗教的な動揺に対して登場したのが預言者エレミだった。ヨシヤ王の宗教改革を批判し、真の改革は人間の心の中に行われなくてはならない、と。ヨシヤ王は
唯一の礼拝の場であるエルサレム神殿でのみ礼拝させようと、武力で地方の聖所を破壊した。そのため民は神殿にしか神が存在しないかのような錯覚をもち、神殿への過信、神殿を過度に誇る態度が生れた。だがエレミヤはもっとふかい心の変革を求め、このような態度を警告した。そのことでエレミヤは殺されそうになってしまったこともあった。
エレミヤは、紀元前六二七年から五八七年にかけて、活躍した預言者であった。この時代こそ、エルサレムがその神殿とともに音を立てて崩壊した滅亡の時代だったのである。すなわち、イスラエルの歴史の大団円をまともにくらって生きた預言者、それがエレミヤだった。
ヨシヤ王の死からのち、南ユダは落ちぶれてゆく一方だった。その子ヨアハズ王はたった三ヵ月しか王位になく、エジプトのファラオ・ネコに連れ去られた。ネコはその代わりにヨアハズの兄弟のヨヤキムを王にした。ヨヤキムの在位中にバビロニアが攻めてきた。バビロニアだけではない。アラム、モアブ、アンモンといった周辺の国々もこの時とばかり略奪に繰り出してきた。まったく国は踏んだり蹴ったりの有り様となってしまったのである。(列王記下二四章)
ヨヤキムの没後に王となったヨヤキンは国の哀れな末路をまのあたりにした。バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムに攻め上ってきたのだ。ヨヤキンは、母、家来たち、高官たち、宦官たちと共にネブカドネツァルに降伏した。すると、ネブカドネツァルはかのソロモンが建てた神殿の内部の宝物を奪い、王はむろんのことエルサレムの人々を捕囚として移送した。そして国の民の貧しい者(主に農民)だけが残された。これが第一次バビロン捕囚と言われるもので、聖書によると「実力者七千人、、職人と鍛冶千人、勇者全員」を移送したことになる。その後にバビロンの王はヨヤキム王の兄弟(ヨシヤ王の息子)を王としてたてた。この王はマタンヤという名前だったが、ゼデキヤと改めさせられる。
さて、ゼデキア王はこのあと、エジプトにつくべきかバビロニアに従うべきかと迷い苦しむことになった。というのも、エジプト軍はいったんはエルサレムへ進軍し、そこを取り囲んでいたバビロニア軍を退却させたからだ。エジプト派とバビロニア派とに国は二分された。高官のほとんどはエジプト派であった。バビロンへ行けという預言をしていたエレミヤは彼らにつかまって拘禁され、殺されそうになる。
ゼデキヤ王はひそかにエレミヤのところへ神託を伺いにやってくる。「どんな神託であってもそれに従うから、神の御旨を教えてほしい」と。そこでエレミヤが神に尋ねると、答えは依然として「けしてエジプトに行ってはならない、バビロニアに従え。」であった。
「バビロニアに降伏すれば、お前の命は永らえ、この町は火で焼かれない。お前とお前の家族たちは生き延びる。しかし、もし降伏しなければこの町は火で焼かれ、お前自身、かれらの手から逃れることはできない」このような託宣が下ったにもかかわらず、ゼデキヤはそれをうけいれず、バビロニアに逆らう。
ゼデキヤはさぞ苦しかったことであろうと思う。信なきものはただ怯え、うろたえ、そして道をあやまることになる、と聖書は伝えようとしているように思う。
結局、その結果、バビロニアはたちまちエルサレムを占領し、逃げようとしたゼデキヤを捕捉した。目の前で子らは殺され、ゼデキヤは両目を抉られて青銅の足枷をはめられ、一六〇〇キロのはるかな距離を、鎖に繋がれて、高官たちや都に残されていた人々とともに、バビロンへと連行された。(エレミア書三九章六節)この決定的な出来事が第二次バビロン捕囚と言われるものである。(紀元前五八七年)。
これらの歴史的な背景を抜きにしてはエレミヤ書を本当に理解して読むことはできないだろう。しかしながら、ここに書かれている様々な印象深い預言は、ただそれを読むだけでも、今を生きる私達に直接ひびくものがある。アトランダムにその言葉を引いてみよう。
「わたしは近くにいる神だろうか。
――主の言葉。
遠くにいても神ではないのか。
人がひそかな所に身を隠せば、
わたしがその人を見ないとでもいうのか。
――主の言葉。
天にも地にも、そのどこにも
わたしは満ちているではないか。
――主の言葉。」(エレミヤ書第二三章二三節)
外国による絶えざる脅威、人々の心の動揺と激しい混乱のさなかにあって、神にのみ信頼をおき、神の言葉により頼めとエレミヤは力強くくり返し述べている。次回はエレミヤがとった不可思議な象徴的な行為や、エレミヤの言葉、バビロン捕囚の現実とその歴史的な意味、及び、その宗教的な意味について考えてみたい。そして、預言者とはそも何者であったのか、ということも魅力的なテーマになりうるだろうと思っている。
参考資料 聖書の他に『聖書一〇〇週間Ⅱ』 マルセル・ルドールズ著。
二〇一四年十月