今回は桜井登世子の第二歌集『冬芽抄』について書いてみたい。
永遠について
紋白蝶のつがいゆらゆらと庭に来てひとつはもじずりに羽をたたみぬ
夏蝶のもつれ合いつつ去りしかば昼ときの間を動くものなし
冒頭の「夏蝶」の二首を読んで立ち止った。第一歌集『海をわたる雲』に現れていた時間の流れはここにはない。水平に移行してゆく時間ではなく、ここにあらわに見えるのはむしろ垂直方向の時間ともいうべきものだ。私達の日常の中で種々の事柄として体験している時間軸を、水平の方向と仮定しての話であるが、その日常の流れとはあきらかに異なる時間軸が存在することをこの歌は指し示している。
それは永遠とも呼ばれている。永遠は、無限に続く時間を表すのではない。むしろ永遠はこれらの、私達が「時間」と思っているものでいえば「一瞬」のうちにあらわになるのである。
その一瞬を指し示す歌は、これまでの手法によっては生まれない。桜井登世子は第一歌集を刊行したあと、或る出来事に遭遇し、まったく手法を変えようと決意したのである。その出来事については後でふれたい。
第二歌集の冒頭に置かれたこの二首こそは、その決意を物語るものだろう。
一首目は字余りで入り、二句も字余りである。四句も字余りである。七音、八音、五音、九音、七音。読む時は 紋白蝶のつがい まで一息に行くのが正しいだろう。句またがりが巧みに使われて、ゆらゆらとやってきた紋白蝶の動きが、通常の三十一音の形では出来ない、ある不規則性をもって呼応していることが分る。ゆらゆらとやってきた紋白蝶の動きが鮮やかに目に刻印され、結句に至って夏のある日のある瞬間の永遠が立ち上がってくる。この定型からの逸脱は必然性がとても強い。いわば作者のたくらみである。
さらに瞠目すべきは二首目であろう。ここでは夏蝶は去っている。暑い真昼の一刻を、「動くものなし」という言葉で着地している。なし、という断定が非常に効いていおり、私達はこの断定の前に置きざりにされてしまう。ここにあるのは夏蝶でも庭でもない。ただ「ときの間」がまがまがしいまでに露出しているばかりである。私達が水平の時間軸の中では決して出会うことのない、目も眩むばかりの垂直方向の時間軸なのである。
桜井登世子の歌集を読み継ぐにしたがって、この感覚こそがじつに桜井登世子の本質なのではないかと私は思うに至った。
シーンのズームインについて(言葉を省くということ)
第二歌集『冬芽抄』は事柄を説明的に詠む歌はほとんどない。もちろん作者の生活のうえに歌は詠まれているのであるから、どんな生活をしていたかは通読するとよく分るのである。それでいてそれらの歌もほとんど全てがあるシーンのズームイン(拡張)であることに私は注目した。事柄は説明されることなく、シーンによってのみ登場する。幾つかの歌を引いてみたい。
末枯れたる街路樹つづく朝の道牛乳さげて吾の歩める
朝々を父が摘みくる間引菜にまじりし松葉を洗い流しぬ
昨日降りし雨に濁れる竹橋の堀端歩む老い父と来て
揚雲雀追いて仰げる天空にわが眼にくらく日輪のこる
いわけなき涙あふるる夕道に蜜柑は指ほどの実をつけていつ
本歌集一冊を読みおえたとき、作者の姿が俯瞰的に浮かび上がってくる理由は、このように歌がシーンの提示の形をとっていることにあろう。これらの歌の詠まれた背景の説明はいっさい省かれている。この、「省く」ということが極めて大きい作歌の秘密なのだ。
「歌は『何を詠むか』ではない。『如何に詠むか』だ」という。歌の方法論についての、第一歌集から第二歌集へのコペルニクス的な転換がここにはある。さながらポンペイの壁画ように、ありし日々はシーンによって語られ、それによって読み手の心に深々と、そして強烈に肉薄する。
揺れやまぬヒマラヤシーダーとおく見え雲ひとひらを残して暮れぬ
赤々と月はのぼりぬ廊下より眠れる父母の息を聞くかも
デッサン力について
子のために採りて持ちいし黄金虫渋谷に初めて逢いし日のこと(林間2002年12月号)
画家に基本的に求められるものがデッサン力であるように具体を描く力は歌人がもっとも必要とされるものの一つだろう。現実のどの断片を見るのか。桜井登世子の歌の中にある具体は、一首を屹立させる。私が最初にそのことに気付いたのは、夫(市原克敏)が属していた林間の追悼号に寄せられた挽歌を読んだ時であった。その頃はまだ桜井登世子という名前すら知らなかったのに、この歌ー黄金虫を持っている姿ーがあまりにもリアルに夫を現前させたので、名前より先に歌を記憶していたのである。そしてあとになって、この歌が桜井登世子の作品だったことに思い至り、深く頷いたのである。
岩壁に在りし水位をとどめつつ運河は晴れて潮引くらし
じっとりと汗ばむ夕べ庭に来てもの言うごとく啼ける山鳩
鋭角にひろがる水脈の水あかり鴨一点となりて去りゆく
脈うちてひらく朝顔よるべなきわがかなしみに花びらの張る
デッサンと言うことで、『冬芽抄』集中の秀歌をあげてみた。作者はここでも「言葉を省き」見えぬところに意味を持たせようとした。どの歌も心に深い余韻をのこす。
向日性について
介護の明け暮れを照らしている「光」。あとがきに作者が記している。「作品をまとめながら、随所に『ひかり』という言葉が現れてくるのに気付いたのであるが、ともすればめいりがちになる自分を、明るい光の方向に向けさせようとしたこころを反映してのことだったろうとあらためて思ったのである。」
庭畑に凍て伏す青菜あさあさを光の中に立ち直りゆく
しずかなる光のおよぶ午後の陽に畳を這える母の音する
水に射す昼の光のしずかにて厨にながきつくつくほうし
照り翳り西ゆく雲の陽をはなれひかりはしばしわが上にさす
立ち直ってゆく青菜、母親、静かな厨。日々の苦しさを照らしている光はなんと静かで存在感のあることだろう。思い返せば、『海をわたる雲』の最後に置かれた一連は光州事件を苦しい気持ちで詠んでいるのだが、その一番最後の歌は、「声ひそむる母らの哀号アカシア並木青葉をわけて陽はさし来たれ」という歌だった。桜井登世子の向日性を如実に指し示している。これまで十四年間教えを受けてきたなかで最も強く私が学んだことも、そのことと関係が深かった。短歌は生き方を指し示すものだ。その生き方を作歌を通して日々私は教えられてきた。
出来そこないの硝子器割りいる工場の軒下にぎざぎざの冬陽あつまる
歌のしらべについて
『海をわたる雲』を出版した後、岡井隆から批評を受けた。あとがきには次のように記されている。「第一歌集出版後、岡井隆氏より受けた批評は、私にある示唆を与えて止まなかった……」 このことこそが私が冒頭であげた「出来事」だった。
その示唆とは歌のしらべについてである。「歌は第一に定型である。定型に絶対性を持たせるところからしか歌の再生はありえない」仮に定型を逸脱することがあっても、そこに必然性がなくてはならないと岡井は言う。歌は意味である前に、しらべなのだ。しらべによって意味がかわるのである。
いずくにも在らぬうつしみ如月の夕べとなりて雪にふる雨
世を離るる瞬時思いぬあおあおと冬を越えたる庭のはこべら
打ち据えし石の明闇春宵をひとり碁を打つかたわらにいる
三句切れの単調なリズムからは想像できないシャープさと凛々しさがこの二句切れの歌歌にはある。岡井の言葉を借りれば「新しいリズムが走っている」歌である。
桜井は近代から現代まで手に入るすべての入門書を読み、その中でも特に佐藤佐太郎を詳細に学ぶ。やがてみずから体得してゆく。結論的に言えば、佐太郎の手法は現実を空間的には「断片」として限定し、時間的には「瞬間」として限定する。これはすなわち垂直の時間軸である。
私達はこの手法が第三歌集にてさらに鮮やかに垂直の時間軸を現わす様を、目の当たりにすることになる。