紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

モノ化する主体
歌壇で今話題の新鋭短歌シリーズ(書肆侃侃房)から出版された第一歌集。言葉に対する繊細さと周到さ、あるいは批評性、などはさておき、読んでいると「おかしな感覚」だと思ってしまう歌に度々出くわす。そしてこのおかしな感覚は、石田徹也の絵にどこか似ていると思わされる。人間とバスタブが合体している絵、飛行機と化した少年 それらのモノ化した人間たちは、画家の石田とどこか似ている。この歌集の中で私(読者)が出会う主体は石田の絵の世界のように限界までのぼりつめた悲劇性を帯びているわけではない。非常に傷つきやすく繊細な感性ゆえにモノ化することによって相手(世界)に対しバリアを巡らせる。そのようなしぐさを私は感じるのである。例えば次の歌。
包帯をほどいてごらんよわたくしが瘡蓋になって守ってあげる
きみはまたわたしの角を折り曲げるそこまで読んだ物語として
水色の延長コードでつなげたら遠いところでまたたくまぶた
調律師の冷たい指を愛してた波打ち際の朽ちたピアノは
とりあえず気道を確保するために横向きで抱いてください 花束
これらの歌のモノたち(瘡蓋や本や延長コードやピアノや花束)を、歌の主体として読んでみると風景が変ることが分かるだろう。モノたちは一人の女性の魂と融合し切ない存在を主張している。あるいはまた次のような歌々。
舐られてあなたの舌を染めてゆくキャンディの中にわたしがいます
「君にはちょっと難しかったかな?」先生は人差し指でわたしを消した
5歳までピアノを習っていましたとあなたの指に打ち明けるゆび
「黙秘します」そう言ったきり俯いて香り濃くする真夜の白百合
これらの歌では、口の中で溶けてゆくほかはない儚いわたしや、人差し指で消されてしまうわたしや、黙秘してひたすら薫る白百合が、作中主体として実に頼りなく寄る辺ない存在として迫ってくる。ピアノを習っていたことを打ち明けるのは「ゆび」化した主体である。読む者の心にダイレクトに響いて食い込んでくるような言葉の意匠は、非常にシュールな感覚から来ているだろう。比喩のひとつのパターンだがもとより比喩はより本質を鮮やかに提示するために用いられるものだ。これらの秀逸な比喩の駆使を通して作者は何を読者に語りかけているのだろう!

あなたとは
それを考える際にどうしても「あなた」の存在に足を止める必要があるように思う。全篇これ相聞だと思いながら読んだのだが「あなた」とは一体いかなる存在であるのか。
この辺は海だったんだというように思いだしてねわたしのことを
真夜中にナースコールをするときのためらいに似るきみへのメールは
マフラーやネクタイ贈れば気のせいか怯えた目をするあなたと思う
なめらかな夜空でしょうか濡れているあなたのコートにひそむ裏地は
折り返し電話するよと言うけれどそのときはもう虹は消えてる
キラキラとアンモナイトにかこまれてふたりのメトロが加速してゆく
秘め事めいた歌が集中にきらめいているが「あなた」の実像は読者には謎である。「あなた」は少しずつ退いてゆくふうなのだ。
前髪の分け目をひだりに変えました今度はあなたがひざまずく番
もうそろそろ許してあげればというように敷きつめてゆく春の夕雲
あなたさえそれでいいなら…と手離したザイルが今も風に揺れてる
生き別れの弟のよう はにかんだ制服姿の写真のあなた
そういうとこ嫌いじゃないよと笑ってる破いてしまった写真のあなた
ほんとうはあなたは無呼吸症候群おしえないまま隣でねむる
同罪だ、魚肉ソーセージのビニールを咬み切るわたしと見ているあなた
「あなた」は、歌集の中で変化してゆく。懐かしい「あなた」はいつのまにか皮肉な目で突き放されてしまう「あなた」へと変ってゆく。寂しさと悲しさが聞こえない悲鳴となって心に刺さる。
いくたびもあなたの頬を拭ってた泣いているのはわたし  なのにね
ベンチにはたまごボーロのちらばったような木漏れ日それともあなた
明け方のあなたの夢を訪ねると鳥の名前で呼ばれたわたし
「あなた」はいつのまにかバーチャルな「あなた」になってしまっているようにも読み取れる。もはやキラキラしいメトロの同乗者ではないが、バーチャルな「あなた」は同時に作中主体をけして傷つけることもないだろう。
作者はまろにゑという同人誌で私とは同人仲間である。毎月歌に接していたときは、私は「あなた」をその都度別な人格として読みとっていた。その読み方の方が正しいと言えるかも知れない。だがここでは敢えて同じ人格として読んだ。それは歌集として一冊にまとまったときに、初めて読者が鮮明に出逢う作者のワールドがあって、それがある統一性を自ずと読者に感じさせる働きをするからだ。
どちらにせよ、「あなた」なる存在によって逆照射されてくるところの「わたし」は動くことはないのである。その「わたし」は可憐な少女的な心を持ち続けていつつも、甘さに混じる苦さを備え、傷つきやすいがゆえに、非常に用心深く世界に対している。優れた修辞の力によってそのような精神を明示し得ている歌集である。

修辞の力
それではいくつかの歌を引きながら、鈴木美紀子の歌の巧みさをみていきたい。
バレッタで束ねたばかりの黒髪は月のひかりにひらいてしまう
ハンガーに綿のブラウス羽織らせて今日のわたしのアンダースタディ
バレッタ、アンダースタディという片仮名表記が一首を瑞々しくしている。黒髪、月のひかり、綿のブラウス、というアイテムにはどこかロマンがある。
言いかけてやっぱりいいやと呟いたクルトンひとつ沈めるように
クルトンが実に活きているではないか。言いかけてやめる、というフレーズにはこの歌集の個性がはっきり感じられる。
容疑者にかぶされているブルゾンの色違いならたぶん、持ってる
容疑者というのっぴきならぬ存在にたたみかけるように色違いのブルゾンが登場する。つまり一首のなかで異なる位相の言葉が並列して、読者は足をすくわれる。ふっと違う位相へと文脈が転位してしまう。そのしかけがこの歌集の随所にみられる。アトランダムにさらに曳いてみよう。
透きとおる回転扉の三秒の個室にわたしを誘ってください
初めてのピアスの穴をあけたときのみこむ息を聴いてる金星
天窓に小さな螺子はころがって星のはずれるけはい ことりと
それならばハンデをつけてあげるよと切り落とされたあなたの翼
あちらにもこちらにもあるカーソルが点滅するからきれいな夜空
今のうち眠っておけよと声がする晩夏へ向かう青い護送車
また文体にも非常に特徴がある。やや舌足らずな少女的な口語体である。たとえば「している」を「してる」と表記する。「眠れていますか」を「眠れてますか」とする。また句切れなどについても様々な試みがなされていて、一通りではないのである。例えば次のような歌。
つぎつぎとひらく波紋の真ん中を見つめてはだめ。帰れなくなる
雪どけの光みたいに銀色のスプーンのなかへ逃げこめたなら
釣り針を抜き取るように見えるでしょうあなたの前でピアス外せば
あるいは、カギ括弧による会話の挿入。
「最近は眠れてますか」と問う医師の台詞のあとのト書きが知りたい
「オーダーが入りました」の声遠くこだまするなり午後の病棟
笑いながら「これ、ほんもの?」と指で押すサンプルだって信じてたから
「何が原因だったと思います?」微笑む人はいつも逆光
これらのカギ括弧の用いられた歌は、とりわけストーリーを感じさせる。ミステリとか、劇画のような切り口である。
幾つかの例を引きながら、鈴木美紀子の歌の魅力と秘密を考えてみた。今、心ゆくまで歌集を読み、味わい、私はこれからの作者のゆくみちをスリリングに思い描いている。
さながら鈴木美紀子という美術館を経巡ったような読後感である。やはり幾重にも意匠をほどこされ隠されてはいても、この一冊は率直な魂の告白と見るべきものではないだろうか。                   2017年5月