拝復
お便りを嬉しく拝読しました。もうすぐ桜も咲きそうですね。しっとりとした春の空気
が気持ち良く、花粉症ですがマスクも忘れて歩いています。
お便りに添えられていたコピーを拝見し、最近何故か私の身にあの二・二六事件を思い
出させることが続いているのが不思議でなりませんでした。お便りには映画「動乱」の背
景を巡り、『二・二六事件獄中手記・遺書』(河野司編・河出書房新社)をはじめ、事件関
係の本を様々にお読みになったとありましたね。そしてあの事件の背景には東北の冷害に
よる貧困で身売りする娘や軍へ行く貧しい初年兵たちを「国家の矛盾ととらえ苦悩する青
年将校の姿」と「それを利用し国家変革をしようとする権力の存在」が気になったとあり
ました。あの事件の事がよく理解できなかった私は、一昨年半藤一利氏の「昭和史」を読
み、そういった背景に気付き、また事件そのものがいかにも雑でおおまかな計画のもとに
勃発し、失敗して収束したことを知りました。失敗の大きな原因には、天皇の気持を全く
誤解していた、思い込みがありました。天皇はあの事件を大変憤ったと歴史は伝えていま
す。
私は一昨年、友人の親族の書簡集の編集のお手伝いをしました。私が昭和史を読んだの
は、そのことと関係があります。友人の親戚にはあの事件にひとりの兵として関わった人
がいたのです。捕らえられ、その後に出獄して後、雑誌で対談などをしているのを古い資
料で読むと、やはり時代背景なくしてはあの事件はあり得なかったと思われました。おそ
らく彼と同じ心境であのクーデター未遂事件に関わった人は多かったのではないでしょう
か。
私は指揮を執った側の将校が死刑になったことを知っています。友人たちと短歌の会で
歌人斎藤史をテキストに読んで来ました。斎藤史の父は軍人であるとともに歌人でもあっ
た斎藤瀏。事件の際反乱軍を援助して禁固五年の刑に服しました。史の歌を読んでいると、
いつも斎藤宅に出入りしていて、史を「史公」などと呼んでいた若き将校の姿が浮かんで
きます。真に「惜しい」思いがこみ上げて来るのです。やはり史は死んでいった将校の側
に終生立ち続けていたと思います。どこかヒロイズムへの共感が歌には滲んでいます。
額ぬかの真中に弾丸をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや 『魚歌』
などは死者への哀切極まりない思いが顕著でしょう。それはまた、ドラマチックに描かれ
ており、史の中であの事件がそういうドラマ性を帯びたものであったことを示していると
思います。そして私もおおむね史の心情に同情的でした。
ところが、私は今年、ある方の自分史を編集する機会に恵まれました。私はこの手紙の
冒頭に何故か私の身にあの事件を思い出させることが続いているのが不思議だと書きまし
た。それはこんなことなのです。
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同じ小金井市の方で、私のエッセイの会に二年前から参加している方の文章を読んでい
ましたところ、ある個所にご自分の祖父の住居が小金井公園の「江戸東京たてもの園」に
移築され、人々に人気があると書かれていました。あの園内には沢山の住居が移築されて
いますので、お祖父様のお名前を伺ったところ、「高橋是清です」とおっしゃるではあり
ませんか。二年ものお付き合いがあった間、一度もそんなお話をされなかったので、本当
にびっくりしました。そして、いったい高橋是清さんはどんな人だったのかと、早速アマ
ゾンで検索し、長野広生著「波乱万丈」を購入して一気に読みました。私は下巻しか入手
できませんでしたが、何故高橋是清氏があのクーデターの銃弾に倒れることになったのか
を私なりに理解しました。高橋是清氏は首相を務め、また高齢になっても要請があって大
蔵大臣を務めていました。軍部が軍として一つの省庁をもうけようとした際に彼は反対し
たのでした。
若い頃から大変な行動力をもっていて、日露戦争の際には多額の軍事費を国債を発行し
てイギリス等に買わせて賄ったそうです。日銀を創立したのも彼の尽力が大きかったとの
ことでした。読めば読むほど高橋是清は大きな人物で日本の歴史に無くてはならなかった
人だったと思いました。官僚タイプではなく野人のようなスケールがあり実に魅力的でし
た。このような人を惨殺したのがあの事件でした。その頃、私のエッセイの友人はちょう
どお母様のお腹にいて、五ヶ月だったとか。もしあの事件が無かったら、幼い頃の記憶に
御祖父さんの是清さんがきっと残っていたはずです。
余談ですが自分史を編むということは貴重な経験で、いつも作者の世界にはまり込んで
しまう私です。今回も作者と作者を巡る人々の世界が、さながらずっと昔から見知ってい
るかのように目に浮かんで、登場人物たちがなんとも愛おしくてなりません。そんな私な
ので、一層、高橋是清さんの死が、そしてあの事件が残念でたまらないのです。
あの事件の後、軍部は暴走を始め、太平洋戦争へと日本は突き進んでいきました。
そしてもう一人気になる人がいます。私はカトリック信者になってあの事件の被害者の渡
辺錠太郎氏の娘で若くしてシスターになった和子さんの本を読みました。『置かれた場所
で咲きなさい』の著者です。九歳の子供だった和子さんは父渡辺錠太郎氏が惨殺された際、
間近にいて、衝立の蔭に隠れていました。本当にその体験は想像を絶するものです。ひと
りの少女の目を通して、あの事件を再考せざるを得ません。
今の私は、やはり二・二六事件はあってはならなかったという思いです。どんな時代背
景も、どんなヒロイズムも、あの事件をほんのわずかでも肯定することは出来ないと思う
のです。
話は変わりますが、歴史とは何だろうかと思うことがあります。目の前にただ無数の出
来事の積み重なりがあります。それらの中から歴史家は取捨選択をして歴史を書きます
ね。その取捨選択は必ずある価値観に基づいているでしょう。ですから、歴史は時代と共
に別なものに変貌する可能性が常にあります。解りきったことかもしれませんが改めて
二・二六事件を機に考えたわけです。
たとえば旧約聖書の列王記上下と歴代誌はほとんど同じ場所で起きた出来事と王国の事
を扱っています。カナン地方の、ソロモンの死以降の歴史に限って言うと、あの地方は北
イスラエルと南ユダに分裂しました。BC 七二二年に北が滅び、BC 五八三年に南が滅び
ました。ところが歴代誌の方には、北に関する叙述がほとんどないのです。ソロモンと同
じ位繁栄を誇ったとされる王ヤロブアム二世のことも完全に無視されています。それは、
歴代誌の記者がダビデ王家の系列を重んじ、南に焦点を当ててきわめて恣意的に歴史を編
纂したからです。
聖書でこの二つの箇所を読み、歴史についての私の考え方がとても明確になったような
気がしました。
あの二・二六事件も、色々な角度で光を当てるとそれぞれに新しい側面が見えて来るの
だと思います。今の私の思いも、その一つでしかないことでしょう。
お便りを機に、最近の思いを書かせて頂きました。有難うございました。またお手紙を
書きたいと思っております。どうぞお元気でお過ごしください。 市原賤香
註 二・二六事件 (ネットWikipedia から引用)
陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(陸軍幼年学校、旧制
中学校から陸軍士官学校に進み任官した、二十歳代の隊附の現役大尉、中尉、 少尉達)は、
かねてから「昭和維新、尊皇斬奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、
天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が終息す
ると考えていた。彼らはこの考えのもと、一九三六(昭和十一)年二月二六日未明に決起
する。
決起将校らは歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、近衛歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊等
の部隊中の一部を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、
高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、
警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠した。
そのうえで、彼らは陸軍首脳部を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えたが、天皇はこれを
拒否。天皇の意を汲んだ陸軍と政府は彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲し
て投降を呼びかけた。叛乱将校たちは下士官兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大
半の将校は投降して法廷闘争を図った。しかし、事件の首謀者達は銃殺刑に処された。