どういう風の吹きまわしか、私の所へ角川短歌から歌七首の依頼があった。一体何を詠ったら良いのか、考えてみた。丁度このごろ私のアタマの中でときおりカランとカウベルの音が聴こえることがある。それは茶房ネルケンのドアに付いていたカウベルではなかろうか。いや、そもそも名曲喫茶の扉に余計な物音をたてるカウベルを付けたりするのだろうか。カウベルを聴いたのは私が高校生のころだから、記憶は曖昧だ。
若い頃よく通った店ネルケン。急に懐かしくなり、短歌のたねを探しに行ってみたくなった。だが、今でもあるのだろうか。あるわけもなかろう。……そう思いつつも未練がましくグーグルで検索してみた。すると、なんと! 創業六十七年、いまも営業中とあるではないか。たまたまその日入っていた予定がキャンセルになったこともあり、私は勢いよく机の前から立ち上がって高円寺めがけて一目散に出かけたのだった。
高円寺の駅を降りると広場には枝垂れ桜が陽を浴びて咲いていた。アーケードを南へ向って歩いて行った。五分位歩くと右へ曲がる路地があった。すぐ右手には寺の入口がある。立派な山門の構えで、地図でみると長仙寺という寺らしい。路地はコの字型を描いて寺からまたもとのアーケードへ戻るのだが、目指すネルケンはそのコの字の縦棒のところにあった。
まるで秘密の世界への入口みたいな小さな目立たないドアがあり、周りには蔦などの植物が配置されていた。このドアへ向かうのは二十年ぶりだ。
二十年前、私の夫は瀕死の状態だったが、ある日たいへん嬉し気に言った。「良いことを思いついたんだ。」そしていたずらっぽく独り笑いをして、「今度からは、君に僕の分身になってもらいたいんだよ。今日は、分身として高円寺の大石書店へ予約してある本を取りに行って来てほしいんだ。帰りにはネルケンへ寄ってきてくれ」
かくして、病院通いの明け暮れだった私は、突然高円寺の町へ赴くことになったのである。
ちょうど今時分のように桜の咲き始める季節だったように思う。その時の私は間近に死の迫る夫と、その上病気の息子をかかえて苦しんでいた。春の陽ざしがどんなに降り注いでいても、心は真っ暗で、まるで全身全霊歯を食いしばっているような有様だった。
二十年前のその日。ネルケンのドアを開けた途端、私は驚きに打たれた、そこにある空間は、全く昔のまま、私が高校生だった頃のまま、何ひとつ変わっていなかったからだ。もう完全にタイムスリップしたような感じだった。店内は画学生たちの絵が掛かっており、入口の近くには粗削りな裸婦の像が立っていた。椅子の背に張られている紅いビロードの布も、小さなテーブルも、店内に響くクラッシク音楽の響きも。固いコンクリートの床も変わらない。
私はそこへ腰かけて、コーヒーを飲みながら、高校時代を思い出していた。授業が終わると私は重いカバンを下げたままネルケンへやってきた。すると、「書斎のヒト」だった彼が、「やあ!」といって現れた。寝起きの状態で髪はもじゃもじゃ、コーヒーを飲もうと前かがみになって顔を近づけると、練り歯磨きのハッカの匂いが彼の方から匂ってきた。
彼は毎回、私にトルストイの「戦争と平和」文庫本全七巻を一冊ずつくれた。私は「サンキュー」と言って、それを丸めてポケットに捻じ込んだ。あとから分ったのだが、彼は本を非常に大切に扱い、「真中からぱかっと開く」ようになるのがいやだからと、必ず両手でそっと開いていた。私があまりにも無造作に本を扱うのをみて、さぞかし呆れていたことだろう。彼に訊いたことはないのだが。
ネルケンで沢山のクラッシク音楽を聴いた。初めてバッハの無伴奏チェロ(カザルスの演奏)を聴いたり、リリー・クラウスの演奏するモーツアルトのピアノソナタも、またクラリネット五重奏もここで聴いたのだった。ワルター指揮によるベートーベンのシンフォニーも殆どここで聴いた。
おとなしい大きな犬がいた。静かに客席の間を歩いていた。多分シェパードだろう。
二十年前に再訪したときは、彼に「分身」の私が報告することが出来た。ネルケンを巡る懐かしい思い出話をした。だが、今は懐かしい話を誰にすることもない。
今回もやはりドアを開けた途端に私は驚きに打たれる思いがした。またしても「昔日の私」に向き合うことになった。店内は高校生だった頃とも、そして二十年前とも全然変わっていなかったからだ。一体、五十七年の歳月はどこにかき消えて行ってしまったのだろう、というほどに。
一人座って茫然としていたら、モーツアルトのピアノソナタが流れてきた。私の好きな曲なので、終る迄聴くことにした。コーヒーを運んできたのは、私ぐらいの年齢の女性で大正ロマンの様なブラウスを着て、グレイの髪をひっつめにしていた。私が高校生の頃はマスターがいつもカウンターの中で釣り仲間と長話を電話でしていたから、その方のお身内かもしれない。
曲が終わり、私はカウンターのレジで少しだけ小声で話した。「高校生の頃、いつも来ていたんです」「犬がいましたね。シェパードでしたか」
「ええ、そうです。おとなしい子でした」と彼女が答えたので、昔のことをご存知なのだと分かった。「マスターは釣りがお好きでしたね。」「そうなんです」彼女は微笑んだ。 あまり話すと音楽を聴いているお客様に迷惑なので、レジが終るとすぐに失礼した。マスターの事もご存知とはやはり私の推測が当たったのだと思う。
さて、私はとことこと高円寺駅へ向って歩いて行った。涙がこみあげてきて、困った。悲しいというより、何だろう‥‥…歳月というものについて、私は何かを感じていたと思う。
私の詠んだ七つの歌を最後に挙げて、拙文を終わりたい。
客人
蔦繁る古き扉をおしあけて十七歳の吾に逢はむとす
雪の夜の貧しきわれら一杯の珈琲熱きをよろこびし卓
石の床にかすかな爪の音をたて歩くシェパードおとなしかりき
「あの店へ僕の分身になつて行け」君は命の尽きなむとして
逝きてはや二十年なり分身の吾は茶房の客人となる
誰もゐない向かひの席の天鵞絨の紅きを見つむ痛きしじまに
ジュピターの黄金の音色の波にのり春の胸処へ亡きひとよ来よ