紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

林間夏季集会のこと(アルカディア市ヶ谷私学会館)にて 
                     
 五月に私の属している「林間」という短歌の結社の夏季集会があった。参加者は二十余名。東京で開催したため東京在住の私はスタッフとして関わった。林間は近く七十五周年を迎える古い結社で秋田県から鹿児島県まで支社があり、かつてはハワイ、ブラジルにも支社があった。高齢化に伴い現在は六十名ほどの会員数である。現在、私は出版社として林間の発行に関わっている。五月の夏季集会について、幾つか書いたので、ここにまとめておくことにしたい。

歓迎のことば 
 皆様 こんにちは
 今日は、遠路を林間夏季集会においでくださり、ありがとうございます。私達東京支社のメンバーはスタッフとして、この会が楽しいものになりますよう、尽力させていただきたく存じます。不慣れなことなので、何かと行き届かない事もあるかと思いますが、どうぞ大目に見てくださいませ。
 私は桜木由香、本名は市原賤香と申します。夫の市原克敏は、三十七年間林間の編集にたずさわっておりました。木村捨録先生は私たちのお仲人をして下さり、私にとって林間は古里のようなものです。いつも原稿を整理する手伝いをしていたため、皆様のお名前も存じ上げておりました。今回、プログラムを作成するために伊香保温泉とさいたまの夏季集会のパンフレットを拝見し、充実した内容にあらためて林間の伝統の素晴らしさを感じました。沢山の懐かしいお名前を見て皆様の努力によって林間が色々な波をかいくぐってこんにちまで至ったことに思いを新たにいたしました。林間を継続してゆくことは、先輩がたの築いてこられたこの上ない宝物をゆだねられているに等しいことだと改めて思いました。
 今、東京支社の服部編集長が、細やかに気配りをしながら、生活のほとんどを費やして編集に尽力しています。高齢化に伴ってどうしても避けがたく起きる問題にも、ひとつひとつをないがしろにせずにしっかりと対応しており、お陰で林間は以前と変わらないレベルを保っています。また若林さんがいつも編集長の傍らで会計や校正を手伝っています。  微力ながら私も、印刷、発行や発送のお手伝いをさせて頂いています。これからもチームの力を結集して、林間継続の為に尽くしていきたいと願っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 今日は、皆様それぞれに万難を排してここにご参集下さっていると思います。体調を整えて、遠路をお越しいただけたことに、心から感謝申しあげます。どうぞ心ゆくまで歌会をお楽しみください。そして嬉しい思い出を沢山お土産になさってくださいますように願っております。  
                        
歌の講評 
出詠された歌の内から五首を講評した。

  今日中に行かねばならぬ雪のなか ぼわっと店の明かりの見ゆる 
 
 雪はこの歌の中では歓迎されていない。雪が降っているのにどうしても今日行かなくてはならないところがあるのだ。歩いてゆくその行く手は雪にふりこめられて明かりさえぼわっと霞んでいる。
 東京にいるとひと冬に一度ぐらいしか雪に遭遇せず、味わうことに夢中になっている間に雪はあっというまに溶けてしまう。雪に降りこめられるやるせない雪国の暮しは想像もできず、この歌を読んだときはじめて実感できたような気がした。
 この歌は、「ぼわっと」がとても良く、空気感が出ており、歌全体を雪の雰囲気でおおっている。一読して作者のため息が聞こえてきた。
 上の句が説明的になっているのが少し気になったので、色々と考えて当てはめてみたが、やはりこの歌にはこの上句しかないと思った。そして、「今日中に行かねばならぬ」という切羽つまった、逃げ場のないフレーズが、人生全体を印象付けていることに気が付いた。これは取り換えの不可能なフレーズであると思い、またその上句を受けての下句は、降りやまぬ街の雪景色としても実体験を感じさせて、辛いけれども何か美しい感じがある。明かりがともっていなかったなら、ほんとうにもう灰色一色の救いようのない景色だろうけれども、そこに灯っている明かりが、なんとなく人の心そのもののような、暖かなよりどころにも思われてくるのである。
 ある一日のスケッチでありながら、作者はここに辛さや美しさを余すところなく描き出したのだと思う。ほかならぬその一日は、こうして歌い留められることによって特殊性を帯び、かけがえのない人生の断面を浮かび上がらせているように思う。

  とおざかる記憶の底の一点に今なお疼く心のきずあと

 日常生活を営む中で時には何度も心に立ち返って来るいやな記憶がある。その出来事そのものはどんどん過去のものになってゆくのに、なぜだろう、どうしても反芻せずにはいられないのだ。そしてそれは救いがたく心に痛い。
 私たちはこういう経験を多かれ少なかれもっているような気がする。あまり拘泥すると、メンタルをやられてしまうこともある。例えば、眠れなくなる。怒りっぽくなる。静かに音楽を聴いていたいのに、想念が邪魔をする。そして、あの時、何故? という問いが自分を苦しめる。
 心には傷がつきやすい。その傷はなかなか癒えてくれない。忘れたつもりでいるのに、ふとした瞬間にフィードバックして、がつんと来る。
 
 この歌の特長は、具体的な出来事が一切書かれていないということだ。
それゆえ、一読した時はなにか観念的な印象を与えてしまうのだが、また具体的なことが書かれていないがゆえにこそ、読者は自分のケースをいかようにもあてはめて納得することができるのである。その意味ではこのうたは大きな箱のようで、だれもがこの歌のなかへ自身の想いを投入し、「そうだようなあ」と共感することができるのだと思う。

 私の記憶ではかつてWさんが「同じことを前にも言ったのに」と責められてしまったというお歌があった。このお歌には反響があり、批評欄のみならず交流誌にも取り上げられていた。私達は、若い時よりも忘れることが多くなり、同じ質問をしてしまうことが良くある。相手は大抵、「また訊いている」と思いつつも初めてのような顔をして親切に答えてくれるのだ。それだけに、きつい言葉を返されるとびっくりし、気持ちが落ち込んでしまう。短歌という短い文字列によくぞこの出来事を端的に詠えたものだと感心した。
 
 一方、掲出歌にはそのような具体的な出来事は一切書かれてはいない。もし何が傷をもたらしたのであるかを詠ったとしたら、歌は全く別なものになったことだろう。読者は欲張りだから、「その傷はどんな傷?」と思わず突っ込みを入れたくなる。だが、この歌にはそれは伏せられている。そして、伏せられているなりの余韻がのこる。だから、私はこれも良しとしたいと思ったのである。

 
  春風が猫の背に乗りやってくる塀を飛び越え踏み石こえて

 ようやく温かい風が吹く季節になった。猫の動きも心なしか軽やかである。ふだんはあまり仲良しとは言えない野良猫だが、塀を軽々と飛び越え、踏み石を勢いよくこえてくるのをみると、背中の毛が風でけば立ってみえる。春なんだ、と改めて実感している。
 
 この歌は僭越をかえりみずに申し上げれば、ダントツ魅力のある歌で、作者はそうとう力量があり、歌を勉強している人だろうと思う。
 そこで、この歌の魅力をつらつら考えてみた。一体どうしてこの歌はこんなにも明るく、生き生きと、読者を魅了するのだろう?
 
 この歌の手柄は初句にあり、それに尽きるとも言えるだろう。もし、「春風が」、という歌い出しでなかったら、これと言って特に面白い歌とも言えないのだ。
 春風、という出だしが実に歌がらを大きくしている。全体は猫の姿をかりて、季節のおおきな転換点を捕まえた歌である。塀を飛び越えて、踏み石を飛び越えてくるのは、猫でありながら、じつは猫ではなく、大きな季節のうねりであり、明るく嬉しい春の到来なのである。

 この歌のもう一つの特長は作者が入っていないことだ。以前私の学んでいたМ先生が良く仰っていた。歌から「自分」を取り除いてごらんなさい、そこに「事物」が存在が、世界が入って来るのですと。
 確かにこの歌は自分を消し去って、対象にのみフォーカスしている。猫の姿をした春風が歌のシーンを席捲している。そして、自我が消し去られているが故の、ある透明感が生まれている。

 読者が一読してこの歌を「いいな」と感じる背景には、実はそんな透明感、季節感、歌の大きさがあるのだろう。そこにはある種の境地が感じ取れる。
 境地は、深い生活の中からしか生まれない。この歌の作者はきっと色々な悲しみや辛さをこえて、ある境地に到達できたのではなかろうか。
 私たちも深い歌を読みたいと思う時、それは、深い生活の中からしかありえないことを心するべきではないだろうか。

  ゆさゆさと河津桜の枝あばれ北西の風に足踏みしめる 

 すごい風、烈風が桜の枝をおもいきり襲っている。足を踏みしめてやっとの思いで立っているのは、作者であるとともに、桜の樹でもあるように読み取れた。河津桜は二月上旬から開花しはじめる早咲きの桜で、1972年に河津町で発見された。伊豆の温暖な気候と早咲きの特色を生かし、約一ヶ月を経て満開になるという。

 この歌を詠まれたとき、桜はもう咲いていたに違いない。可哀想な目にあっている桜の木。枝がゆさゆさと、あばれているというのだ。そう思って読むとき、「あばれ」という言葉が歌全体の中で強烈に浮き立っていて、この歌の芯になっていることに気が付いた。
 北西の風は、暖かな春の風ではない。花冷えの風であろう。河津桜は一般的な桜より開花の時期が早いだけに、こんな目にあってしまうわけなのだ。そのような季節の烈風に堪えて咲く桜であればなおさら、エールを送りたくなるに違いない。この歌にはその気持ちは何も詠われてはいないのに、読み手には想いがしっかりと伝わってくる。それがこの歌の素晴らしさだと思う。

 とりわけ、結句の「足踏みしめる」には、その思いがにじみでている。おそらく拳をかためて、唇をかみしめて、足を踏みしめていたであろう作者の姿が浮かんできたのである。
 この歌にはひたすら、風がいじめている桜の姿だけが鮮やかに描かれていて、その単純性が歌をすっきりとさせていることを感じた。私も、対象を絞り込んでこのように事物や自然を鮮やかに詠ってみたいと思った。 

  娘ら去にて寒さ増したるリビングにひと日の団欒あたためている

 にぎやかに娘たちが集っていたリビング。みな帰ってしまって、静かになり、何とも言えなく寒々しい。そんなリビングに坐って今日の楽しかった時間を心に反芻している。

 寂しさをこのように着実に、読者に伝わるように表現するのは、案外難しい気がする。高齢になってお一人か、あるいは老夫婦でいらっしゃるのだと思う。楽しかっただけに余計に帰ったあとが虚ろに感じられる。それを「寒さ増したる」と、余計な感傷を加えずにあっさりと詠んでおられるところに却って気持ちが伝わったのである。

 去って、と言わずに去にて と表現しているあたり、言葉の感覚の鋭さを感じる。去って、と言う言葉だと、まるで永久に何処かへ行ってしまったみたいだ。去にて、とすることで、日常が感じられる。これは言葉への感性の問題なので、人によって受け取り方は異なるかもしれない。「去にて」とすることで、娘たちがかなりしばしば集まっている感じがあった。
 温かい家族の輪が作者を包んでいるのである。いなくなっても、またやって来るのだから。読者はこの一つの言葉にそれを感じ取って、何か心に優しいものをもたらされる。とても微妙な点だ。(私の誤読であればごめんなさい。)
 下の句には、寒々しい部屋にあって、今日の一日の団欒を思い返し、その思いで心が暖められていることを巧みに表現されている。
 娘たちの所作や声や眼差し、すべてが作者にとっては恵みである。私も息子が若かった頃、その息子が家にいてそのあたりにいるだけで、目が嬉しかったことを思い出した。ただそこにいるだけで、何もいらないのである。娘や息子を持つことは、苦労も多い事だが、逆にまた恵みとなり、慰めとなることも多い。それはその人の手柄でも何でもない、ただひたすらめぐり合わせであり、人生がもたらしてくれる恵みであろう。また逆に自分より先に息子や娘に先立たれる苦悩もある。
 この作者はそういうすべてを考えさせてくれた。そして、下句にある、この慎ましい穏やかな気持につよく共感し、拍手を送りたくなったのである。

おわりに
 類型的な歌や平凡な歌でも、それぞれに自分の「場」から発信する。それが大切だと改めて思った。そして、一人一人の歌の中から良さを発見することが講評の大切さだと思う。
 ただ、歌を詠む人にとっては、アウトプット(歌を詠む)だけでなく、インプット(学び)も必要だと思う。同時代の人々がどんな歌を詠んでいるのか、あるいは評価された歌人はどんな歌を詠んでいたのか、倦まずたゆまず多くを読んでいる人は、いつしか作品にも反映されるようである。

東京名所散歩
 翌二十七日は、観光のプログラムを組み、希望者と共にはとバスツアーに参加する。
 高齢者が多く、帰宅の時間も考慮し、かなり短い時間のコースを選ぶ。二度ほど下見をし、あまり歩かなくても済むように休憩するところを考えたりと、気を配る。以下はそのまとめである。

 林間夏季集会二日目は、十五名の参加者で、はとバスの観光「東京名所散歩」を楽しんだ。お天気は曇りで東京の街は新緑が美しい。皇居前広場を楠木正成像を見つつ二重橋まで歩く。楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。 元弘の乱で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献したという。勢いのある馬上の姿が凛々しい。
 その後バスは浅草へ。「葵丸信」にて浅草名物天婦羅の昼食。雷おこしのお土産を買ったり、ぶらぶら歩いて有名な甘み処「舟和」にて一休み。外国人観光客も多く、お江戸文化を味わっている様子。仲見世には昔ながらの玩具や扇子などの品が並び、思わず足を止めてしまう。
 ここから東京タワーへ向かう。百五十メートルのメインデッキからは隅田川の河口、東京湾も見え、目の下には芝の増上寺が見える。この寺は、忠臣蔵の物語に登場する。江戸下向した勅使が増上寺を参詣するのをめぐって畳替えをしなければならないところ、高家の吉良義央が勅使饗応役の浅野長矩に畳替えの必要性を教えず、これが殿中刃傷の引き金になったという。そんなドラマがあったなど想像できない静かな佇まいだ。
 バスの旅の終わりに近く、東京駅へ向かいながら、「小伝馬町」「馬喰町」などお江戸のイメージがそのまま生きている街の名前を交差点に見つけて、楽しい。十六時少し前に東京駅に着く。お互いに名残りを惜しみつつ、お別れをした。

 はとバスにゆつくり運ばれゆく五月雷門に江戸の夢顕つ     25年5月