紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

≪弾談の会ぴあ~の≫の思い出 4

≪弾談の会ぴあ~の≫の思い出 4

回想録を書くことについて 私にとっては貴重で稀有な弾談の会のスタッフとしての十二年間だったが、果たしてまったく無関係の人にこの経験談はいかがなものなのか。読んでもらうのに、辛抱がいるだろうか。少し端折って書いた方がいいかもしれない。しかし、 …

≪弾談の会ぴあ~の≫の思い出 3

≪弾談の会ぴあ~の≫の思い出 3

第五回公演「舞・人・音」二〇一一年十一月二十日 武蔵湖公会堂 ゲスト在家育江さん。 私は初めてベジャールの演出による舞踊を見た時の驚きを忘れられない。「ボレロ」と「春の祭典」を観た。人間の身体の動きの、考えられうるぎりぎりの可能性を突き詰め …

《弾談の会ぴあ~の》の思い出(2)

《弾談の会ぴあ~の》の思い出(2)

水の会その1 品川編 二〇一〇年四月一九日 講師 陣内秀信氏 第二回公演の講師を務めてくださった陣内秀信氏を囲んで「水の会」が誕生した。江戸時代の東京がいかに水路を活用していたかをつぶさに見て、現代に通じる街の秘められた姿を知ろうという試み …

《弾談の会ぴあ~の》の思い出 1

《弾談の会ぴあ~の》の思い出 1

発足のいきさつ 弾談の会のこれまでのことを振り返り、懐かしむと共にスタッフとしてずっとかかわってきたことが私にとってどんな意味があったのか、多くの人々や音楽との出会いが私をどんなふうに楽しませてくれてきたのか、ここで一歩立ち止まり、考えてみ …

喪いし声は  ―――ヤエコさんの思い出

喪いし声は  ―――ヤエコさんの思い出

前原の坂を下りきってすこし行った住宅街の中に、ヤエコさんのお宅があった。閑静な一角で、落ち着いた感じの庭のある二階家だ。ヤエコさんが発作に見舞われたのは夫の亡くなった後すぐの通夜の時だという。 ヘルパーになってしばらくたった頃、その重い任務 …

地上の夢の裏面

地上の夢の裏面

私は二十歳ぐらいだった。もう随分ながく、恋人から連絡がこない。数ヶ月は経ってしまったようだ。あのひととの間はもう終わってしまったのね……。そう、どんなにあがいても無駄だ。去ってしまった心はもう帰ってはこない。絶対に帰ってこないのだ。いまこそ …

永福町探訪の記

永福町探訪の記

私は五歳まで杉並区の永福町に住んでいた。切れ切れの記憶しかないのだが、家の前が田んぼで、それが春には見渡す限りのれんげ田になったことは鮮やかに覚えている。家は京王井の頭線の永福町駅を下車し、線路を背に南へと七分ぐらい下って、右折し、二〇〇メ …

半端じゃない人

伊沢さんのことは忘れられない。彼の居たアパートの前を通る度にこまごまとした思い出が脳裡をよぎるのだ。 「今度訪問する人は半端じゃないのよ。とにかく」 ヘルパーステーションの上司が言ったときその「半端じゃなさ」の見当もつかず、のんきに「そうな …

あかり

  十五年ほど前、私は桜井登世子師に短歌の手ほどきを受け始めた。生まれて初めての短歌。私はその歌集に感動し、歌の中に出て来るお宅を見たくて仕方がなかった。それは「はつ夏のひかりを撒きて幾万の定家かづらの匂ふわが家」『ルネサンスブル …

土地の記憶

土地の記憶

土地の記憶 私は今、JR中央線の東小金井駅の北口に住んでいる。三年前急に足に不具合が生じたことがきっかけで、運動のジムに通い始めた。ジムへ通うには家から東小金井の南口へ出て、農工大通りをまっすぐ西へむかう。この農工大通りが曲者だった。通る度 …