紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

私は一昨年に一人の友人を失った。彼はヨーロッパ中世の神秘主義について研究していた。専攻はドイツ文学であったがむしろ宗教的な方により密度の濃いものを遺したのであった。その文章は考え抜かれて書かれており緻密さと優美さを兼ね備えていて、どれもたぐいなく魅力的だった。 その彼が癌になり、死の床にあったころ、窪田空穂の本を入手したいとの連絡を彼から受けた。窪田空穂の深さに驚いたというのだった。
手元の窪田空穂の全集を貸しても良かったのだが、大部なもので病人が読むには重過ぎると思い、私は文庫の購入を勧めた。大学の教職にあったので本の入手は簡単に出来たと思うが、今でも私自身が購入して届けてあげるべきだったのにと思う。 そんな思い出があるので、その友人が亡くなってしまったあと私は窪田空穂を読みたいと思い続けていた。が、機会を逸していた。全集をひもといた事はあったが熟読には到らなかった。だから今回しみじみとその生涯の記録を読み、味わって読むことができてとても嬉しく思う。 その歌の中からいくつかを選んで自分なりの感想を書いてみたい。
その前に、まず窪田空穂の人となりについて辿ってみよう。  窪田空穂は1877(明治10)年長野県和田村(今の松本市)に生れる。18歳の時、文学に憧れて東京専門学校(現、早稲田大学)文科へ入学した。養子になっていたようだが養家を出奔しての入学であった。その後実業を志して中退し、母の病により帰郷。21歳で養子縁組をしたが22歳の時養家を去り、代用教員となる。(つまり二度養子の立場になったらしい。)太田水穂を知り、作歌を始めた。翌年与謝野鉄幹選の「文庫」に歌を投稿し、認められたたことがきっかけで「明星」の創刊に参加した。上京し、ふたたび東京専門学校へ入る。 その後明星を退会し同人雑誌などを作る。また自然主義思潮の中で小説を書く。国文学への関心を深め、古典評論、評釈を発表。1914(大正3)年「国民文学」を創刊。その後早大教授となる。1926(昭和1)年「槻の木」、46(昭和21)年「まひる野」創刊。まひる野は実質的には長男章一郎が中心。  空穂は若いときに幼児であった女の子を亡くし、妻を若くして亡くし、その妹と再婚、離婚を経験した。また次男を第二次大戦のときにシベリアで亡くしている。若い頃に養子となっているのは、貧しさゆえのものだったのだろうか。大学教授となって経済的にはともかく、愛する家族を失ったことを考える時、随分苦しい人生だったろう、と思った。  キリスト者になったこともそういった経歴に無関係ではないだろう。     『近代短歌の鑑賞七七』の窪田空穂の項を書いている内藤明氏は、二つの歌 をあげて次の様に言う。 「空穂の第一歌集『まひる野』は、二十代の終わり、明治38年の刊行で ある。ここには、次の二首のように、一方でロマンチックな憧れの歌があり、 一方で夢から覚めた苦しさをうたった歌が多く載せられている。
たとふれば明くる皐月(さつき)の遠空にほのかに見えむ白鴿(しらはと)か君
夢追ひて春をたどりし路に似ぬ雁よ嘆くか翅(はね)もやつれて
『まひる野』」
窪田空穂が創刊に加わった明星をなぜ退社したのか。その経緯を前記内藤 明氏の解説で知った。鉄幹は志士としての対社会的な感慨を多く詠んだ。空 穂が「微旨を得た、心にくい作だ」と思うような作品でも、鉄幹は「男子の 歌じゃない」などと言って否定したという。また晶子は奔放な恋の歌を詠ん でいて、その二つの傾向に空穂はどちらも共鳴できなかったのであった。  空穂は信州の農民の血を引き、人生における挫折の経験も積んでいた。基 底には豊かにロマンティシズムを持っていたが現実を凝視し、「それを引きう けようとする傾向」(同じく内藤氏による)を持っていた。  自然主義的な小説を試みたように、自然主義は当時台頭してきた時代の風 潮でもあった。そして、内藤氏はさらに、空穂は鉄幹が否定したようなちょ っとした小景に心を動かすような、「微旨への指向」をひとつの特色として持 っていたという。

くらやみのとある路より蹌踉と酔ひたる男あらはれきたる。
酔った男は作者自身のようでもある。とある暗がりからあらわれて来た分身 は蹌踉と歩んでいて悲しい姿を見せていると思った。暗い歌だがその暗さが魅 力であり、またこの歌の暗さは若さであると私には思えた。若いという事はそ れ自身、―歳をとると忘れてしまうのだが―悲しいことだからだ。
濁りたるベースの音よりつと生まれ、澄みて鳴りゆくクラリオネット
まるで雲の中から光が差しこむように、あるいは天へ向かって透明な投網が 投げられたかのように木管楽器クラリネットが鳴り出す瞬間である。音楽を言 葉で捉えるのはとても難しい、というより音楽を言葉が凌駕することはほとんどまれだと思う。この歌は無理なことは何もいわずによく特徴を捉えていると思う。句読点の挿入により散文風の拵え方になったが、面白いと思う。

蒸れくさる蚕(こ)糞(じり)のにほひ、ものうげの馬の嘶き、村は夜に入る。
なんとなく散文を読んでいるような気がしたが、句読点のせいだろうか。村 の夜の匂いや音がリアルでどこか身体的ともいえる把握がある。  明星の世界とはまるで違うものが此処にはあるだろう。たしかに、鉄幹の声 高な詠みや晶子の奔放な相聞歌とは違う、泥臭さが感じられる。

つばくらめ飛ぶかとみれば消え去りて空あをあをとはるかなるかな
燕の一瞬の動きをとらえ、遥かな空のその遥けさを顕在化した歌。すがすがしく心に沁みる。

 生(は)えずとてうれへし歯はもかはゆきが灰にまじりてありといはずやも
幼いわが子の死を悼む挽歌だが生えそめた歯の悲しさをこのようにリアルに詠いとめたことに私は驚く。
かへり見て我に附き来る妻子(つまこ)らを春の大路に見つつさびしき
「春の大路に見つつさびしき」という下句には妻子と共にそこに自分自身を見ている目が露わである。その目は総ての人間を見る、神の目のようにも思える。

美しく来む世は生まれ君が妻(め)とならめ復(また)もと云ひし人はも
早世した妻の言い残した言葉が、いじらしく胸をうつ。絶唱ともいえる歌。 長歌も沢山残した。(全集には141首の長歌が載せられている)ことに妻への挽歌に長歌が多い。空穂はまた旋頭歌(五七七五七七)も試みており、古典の世界への深い造詣も空穂の世界の特色の一つである。

白埴(しらはに)の瓶(かめ)にわが飼う鈴虫は暗き廊下に啼き出でにけり
挽歌の続きとして読むと哀しい響きがいっぱいにひろがって聴こえてきた。初句からゆったりと詠い出されていて、その韻律が美しい。

 明(あ)け昏(ぐ)れの空明らめば雲海(うんかい)の雲打ち光り光りつつ崩る
 星満つる今宵の空の深緑(ふかみどり)かさなる星の深さ知られず
 雄大な風景を詠いつつ微妙なところを巧みに捉えている。雲海の雲が光りつつ崩れているというところや かさなる星の深さ知られず と、空の深さを捉えたところが素晴らしいと思う。中年以降、幾たびか日本アルプスの縦走を試みたという空穂は、山岳詠を多く残しているという。
わが写真乞ひ来しからに送りにき身に添へもちて葬(はふ)られにけむ
シベリア抑留にてなくした次男のことを詠んだ歌。この一首には空穂の流した涙が感じられ、忘れ難い歌。  亡くなった私の友人は、空穂のどんな歌に感動したのだろう。生きていたら、ぜひもっと話をしたかったと思いながら空穂の作品をさらに読み進めていった。 すると、晩年に近づくにつれ、作品には深い思索のあとが刻まれていることに私も気付いたのだ。たとえば次のような作品である。

天地(あめつち)はすべて雨なりむらさきの花びら垂れてかきつばた咲く
雨の中にかきつばたが咲いているということのみを詠いながらこの世界への深い共感は、たぐいないものを放っている。それは「天地」という初句への作者の思いが私に伝わってきたからだろう。ただ雨が降っているというのではない。二句までのところには何か魂が向かい合っているこの世というものを感じさせるのである。

 命一つ身にとどまりて天地(あめつち)のひろくさびしき中にし息す
天地という言葉への作者の思いは此処に明らかに示されている。私は結句の「息す」という言葉に惹かれる。息はギリシャ語ではプネブマ、すなわち霊をも意味する。息を吸い、息を吐くことの中に「祈り」はあると、私の瞑想の指導者は言う。言葉を超えて、息だけに意識を集中する、日本なら「念ずる」という言葉が当たるかも知れない。 「天地」については前掲書で内藤氏が次の様に書いている。 「『天地』は空穂の愛語であるが、青年時代に受洗したキリスト教をはじめ、禅宗や日本の古来の自然観や人間観など、さまざまなものが、空穂の精神世界の中には流れているといえるだろう」

はらはらと冬の黄ばらの崩れ去るかりそめならぬことの如くに
かりそめならぬこととは何だろうか。下句には、目に見えている総ての事は「かりそめ」であるという、暗黙の了解がある。黄ばらの崩壊という現象はただ現れているそのものを示しているだけではなく、その現われの中に秘められていることを指さしているというのである。それが何であるかは語られてはいない。私はこの暗示の前に立ち尽くすのみである。

かりそめの感と思はず今日を在る我の命の頂点なるを
これもまた「かりそめ」という言葉で導き出されている思惟へといざなう歌。ほとんど禅問答のようである。私は、亡くなった友人はおそらくこのあたりの歌に惹かれたのではないかと思う。私は「今日」という言葉に立ち止まるのだが、教会の賛美歌にこんな歌がある。

今日こそ神が作られし日 喜び歌えこの日を共に
この歌はおもに復活祭のときに歌われる。だが、ふだんでも、私はしばしば道を歩きながらこの歌を口づさむ。というのはいつの「今日」も私にとってはただ一回きりの貴重なかけがえのない「今日」だと思われるからだ。今日はもう二度とない。時には苦しい「今日」もある。家族の病気や死にうちひしがれ、這うようにしてしのぐ「今日」もある。いつになったら終わるのだろうと思うほど辛い「今日」もある。しかしそれらの「今日」もまた私に与えられ、生き抜くことを嘉された「今日」なのだ。だから朝起きるたびにベッドに腰掛けて私は「今日」を感謝し、貧しい私の「今日」を天に捧げるために祈る。「今日」こそが私にとっていつも命の頂点であるべきものなのだと、私は思う。窪田空穂もきっとそのような思いをこめてこの歌を詠んだのではないだろうか。

 顔を刺すひかりを感じて目覚むれば枕元の梅みなひらきたり
晩年の歌。なにか清らかな、突き抜けたような明るさにほっとさせられる。このような静かな境地に、いつかは到達できるだろうか。 十首ほどを選んで書くつもりだったがそれからそれへと心惹かれて長くなってしまった。