紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

 冬になって空気が澄んでくると月の光が鋭さを増す。寒い風に吹かれながら空を見上げると、私は旧約聖書の中に出てくる「アヤロンの月」を思いだすのである。
 今から三千二百年も昔、エジプトでの支配を逃れ、荒れ野を四十年間、飢えや蛇や皮膚病に苦しみながら流離ったイスラエルの人々がいた。彼らを率いたのは偉大なモーセだった。いよいよ神の約束の地、乳と蜜との流れるカナンへとヨルダン川を渡る寸前に、モーセは死ななければならなかった。モーセはどんなに残念だったことだろう。神になんとかヨルダンを渡らせてほしいと頼んだが、その祈りは聞き入れられなかった。その代りに、神は高い山にモーセを登らせて、これから若い世代の者達が進んでゆくカナンの地を見せてくれる。ナツメヤシの葉のひるがえる美しいエリコの町も見えたと、聖書は言う。
 モーセに代わって民を率いてヨルダン川を渡った晴れがましい若者は、ヌンの子ヨシュアであった。ヨシュアは神に愛された。様々な艱難辛苦を乗り越え、カナンの地でイスラエルの十二部族を結束させた。ある先住民との戦いに於いて、ヨシュアは神に祈る。
 「太陽よ、ギブオンの上に留まれ。
  月よ、アヤロンの谷に留まれ。」
するとそのとおりになった。「主が人の声を聞き届けられたこのような日は後にも先にもなかった。主が、イスラエルのために戦われたからである」(ヨシュア記一〇章十二節)
 ヨシュアの祈りが聞き入れられたのだ。「ギブオンの太陽、アヤロンの月」ということばには神の愛が満ちわたって感じられる。夜、ひとり月の光に照らされながら歩いていると、とりわけ三千二百年も昔に輝いていた月が今も私を照らしていることに、至福をかんじるのだ。たったいま生まれたばかりのように美しい月が、そんなに大昔にも照りわたっていたのだ。そう思うと、過ぎ去った三千余年などは一瞬でしかなかったのだと思えてくる。まったく私の人生などは、取るに足りない。そして、私の抱える後悔や慙愧の思いも、
大海に落ちた一滴の涙にも足りないものだ。こんなことを思うことが慰めとなる今の私である。
 実に、取返しがつかないほどの時間がたってから、謝りたいと思うことがたくさんある。そういう慙愧の念はとても体にわるいから、色々と気晴らしなどしてごまかしながら暮らしているこの頃なのである。
 私は人一倍恵まれた人生を送ってきた人だと最近友人から言われた。欲しいものは何でも手に入れたというのである。もちろんそんなことはないのだが、あれこれ思い当たることもたくさんある。夫との結婚も今にして思えば、その一つだろう。
 夫は亡くなるころに、自分宛ての書簡類や日記はすべて処分するようにと言い残した。私は言いつけを守って書簡類はすべて処分したが、しかし厖大な日記は捨てることができなかった。夫が亡くなってから、日記を開いてところどころ読んだ。
 長男が生まれて間もないころ、彼は短歌の結社のアルバイトのような仕事をしていた。木村捨録先生の主宰する結社であった。ある夜、彼が遅く帰宅すると私と息子はもう眠っていた。彼の日記には、眠っている二人をみて胸を突かれたこと、「二人にすまない気持で一杯だった。あしたこそは先生に、僕の給料をあげてくれるように頼もう」こんな記述があった。
 私はこの記述を読んだことも忘れていたのだったが、昨日ふと思い出した。友人に私を「恵まれた人」と断定されて、困惑のていで歩いていたときだ。つくづくと思うのだが、私との結婚によって彼は生活の為に自分の進むべきみちを変えざるをえなかった。そのことを私は済まないと思わずにはいられない。
 あのころからもう四〇年がたつ。夫が亡くなって十二年。私達は三人の息子をもち、時間はかかったがなんとか生活のやりくりもできるようになっていった。
 ヌンの子ヨシュアを照らした月が今夜も私を照らす。私はヌンの子ヨシュアの幸いを思い、その幸いに預かっていることを知る。確かに友人が言うように、私は「恵まれた人」なのに違いない。

  詫びひとつあなたに言えば青い花アヤロンの月輝きわたる     賎香