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一首鑑賞 斉藤茂吉「赤光」

赤(あか)茄子(なす)の腐れてゐたるところより幾(いく)程(ほど)もなき歩みなりけり

短歌の技法上とても重要なことのひとつに省略ということがある。最近私はこの歌はなにか非常に大きなことが省略されているのではないかと思うようになった。なぜなら、幾程もなき歩みなりけり、という下の句には「どこまで」ということが書いてない。「どこから」かと言うと、赤茄子の腐れていたところからだ。ではその歩みはどこへ向かうのに「幾程も」なかったのであるか。 作者はこの歌について、「この歌は、字面にあらはれただけのもので、決してその他のからくりは無いのである。トマトは熟して捨てられている、これが現実で即ち写生である。作者はそれに目をとめ、そこを通って来たが、数歩にしてふとなにかの写象が念頭をかすめたのであらう」と言う。読者はそれが何であったか、根掘り葉掘り追求するにはおよばない、恋心であっても懺悔であってもかまわない、しかし「歩みなりけり」と詠嘆しているからには一種の感動があったのだと言う。「その抒情的特色をば、こういう結句として表現せしめたものに相違ない。そういうのをも私は矢張り写生と云って居る。写生をつきすすめて行けば象徴の域に到達するという考は、その頃から既にあったことが分る」 ここのあたりは茂吉の短歌観に肉迫していると思われる。だが象徴の域に到達するほどの写生はごくまれに、ごく偶発的にしか出来なかったのではないか。この歌はその成功した幸福な例なのであるとして、ではそれは果たして何を象徴したのだろうか。 それではこれまでに私の手元に集められた歌人達の言葉を眺めてみる事にしたい。岡井隆は赤茄子はトマトの事である、とした後、次の様に言う。「次の解釈はどうでしょう。世間一般に通用している解釈はこうです。〈畑道を歩いていく時に、赤茄子が腐って地上に落ちていた。それをチラッと見てとおり過ぎ、しばらく歩いている。そして、あそこからなにほども歩いていないけれども、その続きでいま歩いているんだなあという瞬間の心理をあらわしたものである〉。そういう人間の瞬間の心理の把握が作品になりうる。という発見ですね。/ところでこれはなんとでもいえます。他の解釈だってできないわけではない。「赤茄子の腐れてゐたるところより」を象徴的なものとしてとればとれなくはないし、「幾程もなき歩みなりけり」を人生の歩みだと考えれば考えられなくはない。それから「赤茄子」が腐っていたということと、そのときに作者が感じ、考えていた内容とがあるいは関係があったかもしれないということも考えられる。また「赤茄子」の腐っていたというのを醜悪だととるか、それとも鮮明な赤の色と受け入れるのか。それとも、もったいないもっと早めに食べればよかったととるのか。そういうぐあいにとりようはいくらでもあると思います。がそうしたものは全部捨象してしまって、ただ印象鮮明に赤茄子の腐っていたことだけを歌っているのです」『斎藤茂吉ー人と作品」一九八四年 小池光は次の様に断定する。「この『赤茄子の腐れていたるところより』なんていうところの連想は、やはり性的なものが、どこかに介在していると読んだほうがいいでしょう。ただトマトがそこに腐っていた、そこから歩いてきた、というだけではだめなんです。ある人が『この赤茄子の腐れているというのは、女遊びをしてきたという事なんだ』と言っていましたけれど、そこまで直接イコールにすると、またつまらないんですね。『歩みなりけり』という詠嘆に至る中に、折り畳まれた性的な屈折などが入ってくるというのが、ポイントだと思います」『斎藤茂吉―その迷宮に遊ぶ』一九九八年 玉城徹はこんな風にいう。「『批評家は、詩に常識的な合理性を要求するため』にこの歌を非難すると、作者自身が苦情をいっている。しかし、このような非難を受ける明快ならざる点に、この歌の魅力が存したのである。/そこに『詩』があった。現実の伝達性をひとまず拒否したところに『詩』が成立するという考えは、当時としてはなかなかに新しいものと言えよう。/詩として考えれば、すこしもわかりにくいものではない。捨てられたトマトの腐っているところを通って、いくばくもいかぬうちに、あるイメージが脳裡をよぎった。象徴と言ったのではつまらないだろう。イメージと、腐ったトマトとの関係が、象徴とはちがう、偶然の衝撃でむすびついているところに面白味があるのだ。その点も、なかなか進んでいると言える。/何のイメージがうかんだのか、そこに問題はない。何でもかまわぬが、それが、トマトを道辺に見て、いくばくもたたなかったということに詠嘆をしぼっているからである。何かを言ってしまえば、この歌はつまらぬものになる。言わないから、そこに不透明な厚みが生まれているのである。その厚みとは、思想的厚みでもなく、作者の人間からくる厚みでもないことはもちろんである。それは、現実の生の中に存在している偶然が、わたしたちにをりをり垣間見させる、あの瞬間の永遠なのである」『茂吉の方法』一九七九年 瞬間の永遠という言葉に説得力が感じられる。この歌に関しては、玉城徹は後になって「左岸だより」のなかで更に敷衍している。 「茂吉の巣鴨病院勤務時代であろう。その頃茂吉は、白山花街で遊び、そこで『おひろ』に会ったらしいと、茂吉研究家は伝える。信じて善いかと思う。〈略〉/小さな畑があって、その隅に腐ったトマトが少し積んである。夏の終りから秋へかけてのことであろう。そこから少し歩くと『おひろ』の来る家に達するという意味にわたしはとりたい。 『┅┅ところより幾(いく)程(ほど)もなき歩み成りけり』という何とも解釈できない言い回しも、これでようやく納得がゆくようである。 /この一首は、こうして『おひろ』の記憶のためにあるのだということが明らかになってきた。この一首の中で、『腐れてゐたる』の句は、一応は文語らしいが、じつは、いちじるしく口語的である。/『腐れて』は近世転訛の形で、こういう動詞は、他の活用形で用いられた例がなさそうである。ただの自然過程ではなく、世の中から捨てられたという感じが、ここにはある。これも『おひろ』の身の上を暗示するのかも知れない」 左岸だより三〇号・二〇〇七年 私は冒頭で「どこまで」が省略された歌であると思うと書いたが、玉城徹のこの文章から察するとそれは『おひろ』の来る家であるらしい。 問題は、そのことを省略する事でこの歌がある普遍性を獲得していることであろう。人はこの歌に「人間の瞬間の心理の把握」〈岡井〉を感じ、「人生の象徴」〈同〉を感じ、あるいは「性的なもの」〈小池〉を感じる。そして「現実の生の中に存在している偶然が、わたしたちにをりをり垣間見させる、あの瞬間の永遠」〈玉城〉をすら感じさせるのである。 私はこの歌が何故、こんなにも多くの人々に取り上げられ、『赤光』の中でも名歌とたたえられているのか、さっぱり分らない。 そこで塚本邦雄の「特殊な発想と文体に甚だしく引かれる。残酷な断定と切捨に反発を感じつつ、舌鼓をうつ。例によって、恐らくは無意識の、鋭い言葉の選びに膝を打つ」という賛辞をもここに付け加えておこう。私自身の率直な感想をいえば、この歌のもつシュールな感じは面白いし、そしてこの歌に注目した作家たの眼差しがそれぞれ面白いと思うのだ。そして、省略はやはり短歌にとって相当重要なファクターではないだろうかと、改めて思う次第である。