紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

思いのほか暑かった今年の夏、私は聖書を読みながら、この地上を歩きまわる預言者達に思いを馳せて過ごした。その陽に灼けた褐色の頬がありありと目に浮かび、彼らの運命を、召命に答えようとする一途さを、信仰の揺るぎなさを思わずにはいられなかった。
あのバビロン捕囚などという出来事がなかったら、イスラエルの民は安泰に暮らし、世界の中の一小国として存続しえていたかもしれない、従って預言者たちの書き残したこれらの言葉も何ひとつなかったかもしれない。私のような東洋の果てに住むひとりの人間が、預言の書をひもとくこともなかっただろう。
今、ちょうど「聖書百週間」の講座ではエゼキエル書を読み終えたところである。ここまで読んでくると、聖書の世界の展開がかなり見えてくるように思う。そのキーワードを「神殿」と仮定して今日は考えていきたい。

前回はゼデキア王の悲惨な運命やバビロニアによって捕囚の民となったイスラエルの民のこと、そしてその頃に活躍していた預言者エレミアのことなどを書いた。
このバビロン捕囚といわれる出来事によって、ユダヤ民族は国家をほとんど喪失し、民族共同体としてのアイデンティティと太祖から続いてきた唯一神への信仰さえも失いかねない事態に陥った。
この頃は、民と民、国と国との争いはそれぞれの神と神との闘いであると人々は信じていた。このためユダヤの民は、自分達が信じてきた神ヤハウェがバビロニアの神に敗北したと思ったのだ。信仰心を失い、無力感と絶望感に陥った民を励まし、唯一神への信仰の回復を説いたのが、エレミヤやエゼキエルのような預言者だった。
エレミヤは、人々が偶像崇拝をやめなかったがゆえに、神はバビロニアの王ネブカドネツァルを神の道具として用い、イスラエルに罰をあたえたのであると説く。神は必ずバビロニアを初めとする周辺の敵を滅ぼし、捕囚の地から再び帰還できるようにしてくれるのだ、そのためにはイスラエルの人々が本当に回心し、神に立ち返ることが必要だ、とエレミヤは主張した。人々はなかなか聞く耳を持たず、エレミヤは声を枯らして説きつづけた。
人々の頑迷さは、一つには絶体絶命の四面楚歌のなかで一体何処にすりよっていけばいいのかと右往左往していたことにも原因があるだろう。選択を誤れば、たちまち死が待ち構えていたのだから。聖書によれば、神はこんな頑迷な民のことなどもう救ってくれとは言うな、とエレミヤに言う。(「あなたはこの民のために祈ってはならない。彼らのために嘆きと祈りの声をあげて私を煩わすな」。『エレミヤ書七章一六節』)なんと七回もこんな記述があるのだ。しかしエレミヤは常に同胞の立場に立って神に懇願し、とりなそうとするのである。

神の召命をうけたエレミヤの奇行はイザヤ(BC八世紀頃)にも勝るとも劣らない。イザヤは、現代ならさしずめ公然わいせつ罪で逮捕されそうな真っ裸で、歩きまわった。そのような姿で歩きまわるように神からの託宣が下ったからである。エレミヤに至っては、もっとひどい。生涯結婚してはならないし、祝宴に参加することも許されない。弔いの家にも入ってはならない。また、牛などに用いる軛を自らの首にはめなくてはならない。それは一体どんな姿だったことだろう。正気の人の姿とは思えないものだろう。人々はその姿を目の当たりにして、滑稽さを感じただろうか。侮蔑しただろうか。いや、むしろ恐怖を感じたと私は思う。それほどまでにして預言者が民に伝えたいこととは何だろうと、おののきをもって見つめたにちがいない。そしてそれこそが、預言者の、全ての奇行の狙いだったのだろう。むろん、それぞれの行為には、民や支配者達に知らしむべき象徴的な意味があった。イスラエルの民の運命を表そうとしたのである。
祭司の子だった育ちの良いエレミヤ、あるいは貴族の子だったイザヤにしても、彼らがそのような姿に身をやつすことは相当な勇気と命がけの覚悟が必要だったに違いない。神と対話するという栄光はあるが、惨めな姿を人前に晒し続け、支配階級から憎まれて殺されそうになる、そんな悲惨な人生を歩むほかはなかった預言者達!

さて、冒頭に挙げた「神殿」について書いてみたい。イスラエルの民は神殿をもたず、神の住いを特殊な幕屋によってしつらえていた。国家を形成して安定した政治を行うにいたったダビデ王が神殿を作ろうとしたが、神は幕屋に住まうのだと言ってダビデの申し入れを拒んだと、聖書に書かれている。そのような経緯の後、その息子ソロモン王の時代になって初めてそして唯一の神殿がエルサレムに建設されたのである。イスラエルの民にとっての最大の「罰」、それは「散らされること」そして、「神殿を失うこと」であった。散らされることが最大の罰であるという認識は、実際に散らされることによって生じたものだろう。民族共同体としてのまとまりが無くなり、ちりぢりにされるということは、民にとって一番耐え難いことだった。だがそれ以上に耐え難かったのは、信仰の拠り所としていた神殿を失うということだった。ヨシヤ王が神は唯一の神殿、エルサレムの神殿に宿るのだと言って、北イスラエル地方にあった聖所をことごとく打ち壊したことは、バビロン捕囚からさかのぼってさほど古い時期のできごとではない。せいぜい二〇年ばかり前である。だからその頃の人々は、神殿に巡礼に行くことを人生の支えとしていたにちがいない。今の私たち日本人が観光がてら神社仏閣をお参りするよりもはるかに強烈なモチベーションがあった筈だ。聖書の「神殿」という言葉を私達の今の時代の感性で捉えようとすると、読み損なうかもしれない。
今回、とりわけて「神殿」について書きたいと思ったわけは、エゼキエル書による。エゼキエルは幻視の人だった。様々な預言を幻の具体的な記述によって行っている。エゼキエル書の冒頭には摩訶不思議な生き物が登場する。その詳述は避けるとして、一番気になったのはその生き物の体に無数の「目」があったということだ。世界中を駆け巡るその生き物は、その目によって全てを見る。神は、「神殿」というせせこましい所にちんまりと収まってなどいない、自由自在に駆け巡る宇宙大の存在なのだよ、そのように、この幻は告げているらしいのだ。
またエゼキエルは幻視した未来の神殿を、微に入り細を穿って寸法を記述する。(『エゼキエル書四〇章から四二章』)その気になれば、『出エジプト記』(二六章)に記載されている幕屋の寸法や、ソロモンが建てた神殿の寸法(『列王記上六章』)と比較できるかもしれない。少なくとも私の見る限りでは、幻視された神殿はずっと大きいようだ。こんなに明確に寸法を書いたのは、イスラエルの未来を現実的に描くためであったらしい。
四七章にはこの幻の神殿から水が湧き出て、川となり、海へ流れ出て、海を浄化し、豊富な魚や川辺の豊かな植物の源になると書かれている。
この不思議な暗示的なくだりは、何を意味するのかと聖書をめぐって人々は考えた。それは、新約聖書の「ヨハネによる福音書」や「コリント人への手紙(Ⅱ)」などにそのことは書かれている。
キリストは自分はエルサレムの神殿が崩壊してもそれを三日で立て直すと言っている。(『ヨハネによる福音書二章一九節』)その意味は、その場にいた人々は誰も悟らなかったのだが、自分自身の復活を指し示していた。つまり、キリストは自分の体こそが神殿なのだと言っているのである。そして、十字架上の死ののち、兵士が槍でキリストの脇腹を挿すと、「すぐに血と水が流れ出た」と書かれている。(『同一九章三四節』)この記述と、キリストの言葉「乾いている人は誰でもわたしの所に来て、飲みなさい。』(『同七章三七節』)
とが、呼応しているのかもしれない。
さらに、パウロはコリントの教会の人々への書館のなかで、次のように言う。「わたしたちは、生ける神の神殿なのです」(『コリント人への手紙Ⅱ六章一六節』)

石と木によって建造物として建てられる神殿は容易なことで崩壊してしまう。実際、バビロニアから帰還した人々が建てた第二神殿はAD七〇年には跡形もなく壊されてしまう。パウロは「神殿」の意味を深化し、ひとりひとりの心が神殿なのだと説いた。
ちりぢりに散らされた民は、かくして全世界に神殿を持つに到ったとも言えるだろう。
二〇一四年十一月