紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

私は短歌を詠み始めてまだ十年少々しかたっていない。短歌の世界では、二十歳すぎてから短歌を始めた人が「遅い出発だった」などと言う。半世紀も生きてきてからやっと始めた私。開き直るしかない。
さて、私は文語で短歌を詠み、現代仮名遣い(新仮名)を使用する。文語なら歴史的仮名遣い(旧仮名)を使ったほうが良いかもしれないが、学校で習ったことがないせいもあり、今ひとつ自信がもてないのである。
私は未来という短歌結社で校正係の末席を汚している。いやでも旧仮名を学ぶ必要がある。知れば知るほど旧仮名は魅力的だなと思うのだ。
さざんかをさざんくわと表記する。あじさいはあぢさゐ。りんどうはりんだう。ゆうぐれはゆふぐれ。おおきな木は、おほきな木。ちいさな花は、ちひさな花。擬音(オノマトペ)なども、微妙に違ってくる。たとえば、ふわふわの雲は、ふはふはの雲。なんと繊細で味わい深い表記だろう! また、たとえばしっかりはしつかりと書く。ちょうちょうはてふてふ。だがイチョウは「いてふ」ではなく「いちやう」と書く。何度も辞書をひいてやっと覚えたのだが、とじるは「とぢる」なのに、始めるは「はぢめる」ではなく「はじめる」なのだ。また音便は、新仮名と同じく発音どおりに表記する。例えば「あいだ」は旧仮名では「あひだ」だが、「よい人」は「よひ人」とはならない。「よき人」の音便だからである。
文語と口語の違いは仮名遣いの違いよりさらに大きい。文語は日常の会話には全く出てこない。もし短歌を書く人達が文語をやめてしまったら、文語はもう死んでしまうだろう。
文語で歌を詠みたいと思うのは、音律が美しいと思うからだ。文語には口語にはない響きもあるように思う。
ある種の歌は、口語でしか表せないと思う。私の好きな歌人で、口語の歌を読む人は何人かいる。たとえばこんな歌。
ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす
笹井宏之(PARCO出版『えーえんとくちから』)
喧嘩喧嘩セックス喧嘩それだけど好きだったんだこのボロい椅子
東直子『青卵』本阿弥書店
文語の歌の美しさはこんな歌に味わえる。
追憶はつばらつばらに雨のなか藍色の貨車すぎゆきにけり
桜井登世子 不識書院『夏の落ち葉』
夕かぜのさむきひびきにおもふかな伊万里の皿の藍いろの人
玉城徹『樛木』短歌新聞社文庫

文語の文法は特殊なものがあるのだが、校正係をしていると間違いがあとをたたないのが、
サ変に過去の助動詞「し」が続く場合である。たとえば愛すという言葉は愛にサ変がついた形である。その場合は連用形ではなく、未然形に「し」が接続する。だが勘違いで「愛しし」としてしまうのだ。正解は「愛せし」となる。そうかと思うとなんでも「せし」としてしまうケースも多い。落とす、は四段活用だから、「落としし」となるのだが、ほとんどの人は「落とせし」としてしまう。
だが、響きがいいから「せし」を採用することも許容の範囲とすることもあろう。言葉は生き物だ。多くの人々が誤用すれば、それが正しい言葉として定着してゆくのだ。私は少々癇癖なところがあって、それを嫌だと感じてしまうのだが。
その他、まれに完了の助動詞「り」を、下二段動詞に接続させてしまう人がいる。「上ぐ」「受く」などを「上げり」「受けり」などと誤用する。りはサ変の未然形か、四段の已然形にしか接続しないのだ。私などは自信がないので完了の助動詞はなるべく避けてしまう。

校正をしている関係で、漢字の使い方も神経を使う。結社ごとに決まりはあるのだろうと思う。未来では原則として、旧字は使わない。またパソコン文字のようなものも正字になおす。しかし異字体は許容。以前、新米校正係として、次のような原稿を掲載したことがあった。

校正ルームより
校正をしていると戸惑う事が沢山あります。そこでこの度は新米校正係のQ&Aということで主に漢字について書いてみます。
Q1 体躯はNG、体軀とする。櫻はNG、桜とするのは何故。それなのに食うは喰うでもよいのは一体何故!
A「未来短歌会の方針」として、常用漢字を使用し、旧字体・略字・俗字及びワープロ文字不可、但し、固有名詞については例外。俗字の例・躯(軀)、蝉(蟬)、噛(嚙)、輌(輛)、繋(繫)など、カッコ内を使用します。旧字体の例・櫻(桜)、遙(遥)、
彈(弾)龍(竜)、佛(仏)、萬(万)、瘦(痩)など、カッコ内を使用。異字体は可。例・食(喰)、赤(赫・赩・赭など)カッコ内でもよい。なお、作者特有の読み方をしたいとき、たとえば赤ではなくて紅、朱とするときは送りがなで推測して読めればよいが、心配ならルビを。
Q2 送り仮名は難しいですね。
A 送り仮名は日本語表記の送り仮名の付け方によります。送り仮名を付けないとされたもの以外は、つけてもつけなくてもよいので、それに合わせて校正。 例をあげましょう。ひぐれは「日暮れ」ですが「日暮」も許容です。なごりは「名残」が正解。すまいは「住まい」でも「住い」でも可。みじかいは短かいではなくて「短い」、なつかしいは懐しいではなくて「懐かしい」となります。どうぞ辞書を参考にしてください。

そんなこんなで校正をしているとまったく辞書が手放せない。
私は孫達と今年の正月も百人一首をやったのだが、何度やってもいい歌だなあと思う歌がある。このような歌の世界を孫達にもより深く解ってほしいと思う。
建物は、人が住んでいると良い状態が保てるが、無人の状態で放置されるとたちまち荒れ果ててしまう。つまり、動態保存ということだ。言葉は動態保存の最たるものだと思う。日々、文語を使って歌を詠み、ややこしい文法に頭をなやませながらも、その響きの美しさを味わう。いつかは私も旧仮名に挑戦できたらと思う。旧仮名の不思議なきまりごともそのうちに当たり前として使いこなせるようになるといいのだが。
二〇一五年二月