紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

あなたが亡くなってもうじき十四年になります。今日は、あなたに手紙を書こうと思います。あなたはずいぶん沢山の手紙を私にくれました。亡くなって少したって、膨大な蔵書を整理した時、手紙の入ったダンボールの箱だけが見当たらず、ずいぶん探しました。他の人々からの書簡類は、遺言に従って処分しました。ただ、あなたが恋愛時代に私に書き送ってくれた手紙だけは、一つの箱に収めてあったのでした。私はあの箱をよすがにして、これからの人生を乗り越えてゆきたいと思っていたのです。
暑い夏の盛り、物置小屋の中の数十個の箱を一つ一つ明けてゆきました。汗だくになり、埃まみれになり、声に出して手紙を呼び求めながら。けれど、ついに最後の一箱も、手紙の箱ではありませんでした。私は西日のさす小屋のまえで思わずへたり込みそうになりました。

見出された手紙
数週間後、蔵書の整理が終わった書庫をみまわしますと、沢山ある本棚の、その一つの上に、大きな箱の影が黒く浮き出て見えました。本当に一つだけ、ぽつんと残っていました。脚立に乗って開けて見たら、まさしくそれがあなたの手紙の箱だったのです。
その箱は今、私の身近な所に置いてあります。まだ切手の値段が十円の時代でした。時々、開いて見ると、少し便箋は黄ばんだけれどインクの跡はたったいまペンを置いたばかりのように瑞々しい。
「賎香さん、もうお目覚めになりましたか。庭で雀がチュンチュンと啼く声が聞こえます」
いつもこんな書き出しでしたね。そして、たいていは、一晩中読んでいた本のことが書いてありました。あの頃のあなたは「風来坊」で、仕事にもつかずに街をほっつき歩き、夜な夜な書斎にこもってくらしていたのでした。
イエスのことをいつも、この世のどんな人間よりも強いリアリティで感じていることが、手紙を通して伝わってきました。

ヨブ記を読む
六十二歳のとき、あなたは病気になって余命を六ヶ月と宣告されました。私が看病の合間に読んでいる推理小説を覗きこみ、「きみ、そんな下らないもの読んでないで、聖書を読みなさいよ」と言いました。それで私は使徒行録を読みました。使徒行録の熱気が、私は好きだったからです。聖書を読みなさいと言ったあの一言は忘れられません。(それでもいまもって下らない本を読み散らかしている私ですが。)
今、私は聖書百週間という講座の奉仕者(進行係のようなもの)を勤めさせて頂いています。あなたが知ったらさぞ驚くことでしょう。聖書のことをあなたと沢山話せたらどんなによかったことかと思います。特にこの頃はこの講座でヨブ記を読んでいるので、一層その想いが強いのです。
ヨブ記は、昔からオリエント地方にあった伝説を土台に書かれているようです。冒頭の部分(一章から二章十三節)」と、締めくくりの部分(四十二章七節以降)は散文で書かれており、全体の枠組みを形成しています。この部分は相当早い時期に書かれたらしいです。イスラエルの民が他国に侵略され、滅ぼされて捕囚の民となってバビロニアへ連れ去られてしまった一連の出来事の起こる前に書かれたのでしょう。しかし、真ん中の詩文のところ(三章から四十二章六節まで)は捕囚の後に書かれたということです。この部分は戯曲形式です。登場するのはヨブとその友人たち、そして神自身です。
ヨブは、ウツという土地の大富豪で子沢山、神を敬う信仰心の篤い義人でした。神はヨブを「彼のような男は地上に二人といない」と認めていました。ところが、サタンが神に
ヨブが正しいのは、裕福で満ち足りているからだ、「ヨブは益もないのに神を敬うでしょうか」と言い、ヨブの信仰心を試みるようにそそのかします。
その試みは大変に過酷で、ヨブは子供たち全てを失い、家畜も失ってしまいます。それでもヨブは信仰を失わず、次のように告白します。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこへ帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(共同訳二章二十一、二十二節)
その後にヨブはさらに厳しい試練を受けるのです。ここから先はバビロン捕囚後に加筆されたと言われる部分にはいります。
ヨブは体中に腫れ物ができ、蛆と埃にまみれて土の上に座っていました。友人たちが遠路見舞いにやって来て、そんなヨブが瀬戸物の欠片で体をかきむしっている姿に衝撃をうけ、慟哭し、七日七夜を傍らに座って涙を流します。
友人たちはさんざん泣いてヨブに同情したものの、「やっぱり、お前はこんな目にあうようなことをなにかやったんだろう」と責め始めます。慰めるはずの友人たちが寄ってたかって「お前はきっと極悪非道なことをやらかしたんだ、だからこんな目にあうんだよ。罪を悔い改めればきっと苦境から神は救って下さる」と言います。
それに対し、ヨブは反論します。「いくらなんでもこんな目にあうほど私は悪くはないはずだ。君たちは私のことをそんな風に悪く思うのか。そうしてこの苦しみにさらに追い打ちをかけるのか。もういい、私はもう君たちには何も言わない。私は神にむかってだけ話す。私は神に申し立てをしたい。神と語り合いたい」
そして、ヨブは神に問いかけるのです。
「私は自分が無罪であることを知っています」(十章六節から八節)そして、抗議します。
「神は一本の髪の毛のために私を砕き、理由もなく私の傷を増し加えられる」(九章十七節)
このような激しい抗議をヨブはくり返します。
絶望と信頼に揺れ動きながらも、ヨブは果敢に神に立ち向かい、次のように問いかけます。「あなたがお呼びになれば私はお答えします。あるいは私が語り、あなたがお答えください。私はどれほどの悪と罪を犯しましたか。私の咎と罪をおしえて下さい。なぜ、み顔を隠され、私をあなたの敵とされるのですか」(十三章二十二節から二十四節)
ヨブは傲然と顔をあげて、神に立ち向かうのです。
私が教えを受けたシスターNはいつも,「神に立ち向かう人を神は愛される」とおっしゃっていました。

あなたの短歌
考えてみると、あなたは短歌のなかでしょっちゅう神を罵倒していたような気がします。だって、プロテスタントの友人はその短歌にひどく立腹していましたから。

戦争の日はめぐりつつ戦争を伝統として神あり沙漠に
日もすがら広場に立ちて神を待つ遅刻を詫びる声など雲に
ひんがしの灰の降下をかんがえる机上に聖書の疎ましき日よ
市原克敏『無限」不識書院

この皮肉、この苛立たしさ。しかし神もまた、あなたと同様、この世のありさまを、歎き苦しんでおられるのかもしれません。

神の応答
ともあれ、ヨブの激しい抗議と呼びかけに、ついに神が答えます。神は天地創造の技をあれこれとリアルに引き合いに出しつつ、ヨブを諫めます。
実に、神はヨブの問いかけには一切答えないのです。ただ、宇宙大の視点を持ち込んで、ヨブに一つのことを悟らせるのです。それは、神の存在は人間の狭い理解の幅をはるかに凌駕するものであるということでした。人間中心の信仰は、ここで神中心の信仰に変化します。
こうして、ヨブはいかに自分中心に考えていたかを悟ります。ヨブは、神の主権をみとめ神に信頼し、自己の信仰評価を神に委ねます。
バビロン捕囚の憂き目にあったイスラエルの人々は、因果応報の思想のもとに苦難の原因の全ては自分達の非にあったと思っていました。多くの預言の書にはそのように書かれています。しかし、ヨブ記の筆者は、その考え方に断然反論しているのです。
さて、ヨブの出身地ウツとは、どういう場所なのか。聖書に四箇所ウツという固有名詞が出てきます。これらはいずれも当時のイスラエルにとっての外国でした。また、友人たちの名前やヨブという名前も、外国人の名前だそうです。これらのことからヨブ記は一地方の物語ではなく、広い国際的な、ある種普遍的な物語であることを暗示されているのだと、聖書百週間の講座で教えられました。
ところでヨブは「仲介者」「保証人」「贖い主」という言葉を発しています。
「天におられる私の証人」(十六章の十九節)、「私を贖う方は生きておられる」(十九章二十五節)ここで私達は、神と人との間にたつ存在の可能性について、考えさせられることになるのですが、それはこの手紙には書ききれません。

主の御名は……
あなたが天に召されたあの日。病院からなきがらが搬出されたまさにそのとき、その日五月三日が私達の結婚記念日であったことに私は気づきました。まことに主は与え、かつ奪いたもう。そのことが鉄槌のように心に食い込んだのです。ヨブ記の作者はその言葉のあとに「主の御名はほめたたられよ」と続けました。あなた亡き後の歳月は、主の御名のほめたたえらるべきことを、この小さな心が納得するために過ぎたような気がしています。
二〇一五年三月十九日