紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

旧約聖書の登場人物の中で一番好きな人はと聞かれたら、やはり私はヌンの子ヨシュアが好きだと答える。「ヌンの子ヨシュア」と聞いただけで嬉しくなってしまう。あのダビデをはじめ、旧約聖書全巻を通し、神に愛され祝福されたと記されている人々は沢山いる。そのなかでも、とりわけ存在感のあるヨシュア。しかもヨシュアは、ダビデのような大きな過ちは犯さなかった。出エジプトののち、モーセに率いられて砂漠にあった民のなかで、ひときわ輝く存在だ。ヨシュアが最初に登場するのは、エジプトを脱出して程なく民がアマレク人から攻撃を受けたときだった。モーセが両手を天へ掲げて祈っている間、民は優勢だった。それで二人の従者がモーセの手を支え続けたと、聖書に書かれている。その戦いで大きな功績をあげたのがヨシュアである。そして、カナン地方への偵察の挿話に登場する。更に、モーセの死後、民を率いてヨルダンを渡った。その後も民の統率者としてヨシュアはいつも果敢であり、そして神の力強い励ましに支えられていた。

エジプトで奴隷として苦しんでいたユダヤの民は神の約束の地、カナンを目指し、指導者モーセに従ってエジプトを脱出した。紀元前千二百五十年頃のこと。この出来事については、旧約聖書の「出エジプト記~申命記」に詳しい。旅の途中で神と民との契約がなされ、モーセは神から律法を与えられたと記されている。
このシナイ半島の旅は四十年に及んだ。飢えや渇きや皮膚病や蛇に苦しみながらも、この四十年間は、神と民との「蜜月時代」と言われている。聖書のあらゆる箇所に、神の自己紹介として「私は奴隷状態であったユダヤの民をエジプトから導き上った」と必ず記されていることからも、この旅がユダヤの、そして神信仰の原点であることが分かる。
四十年間の旅とはいっても、その内のある期間(「実に長期に及ぶ」ー申命記一章四六節)は、カナンまであと六十キロメートルの道のりにあるカデシュ・バルネアというところにいたようだ。カデシュ・バルネアを出てセイル山(アラビア半島側に位置する)、モアブの荒れ野などをさまよい、ゼレド川(死海へ流れ込んでいる)を渡るまで、三十八年間もかかった。(申命記二章一四節)
なぜ彼らはそんなに長くカナンへ向かわなかったのだろう。そのいきさつは、申命記の一章に詳しく書かれている。彼らが十二の部族から一人づつ斥候を出してカナンを見に行かせたところ、そこはまことに乳と蜜とが流れているが、「しかし、その土地に住む民は強く、町々は城壁で囲まれ、非常に大きい」「そこで見た民はみな背が高い。私たちはそこでネフィリム(巨人)を見た」と言って斥候は人々の意気を挫いた。(民数記一三章)
ヌンの子ヨシュアは、斥候として派遣された十二人の中の一人として物語の中に再び登場する。斥候のほとんどが、あのような臆病な報告をし、カナンへの出発をやめせようとした。その際、果敢にカナンへ向かおうと、神の意に添う報告をしたのがヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブだった。
ほとんどの斥候が臆病な報告をしたため、人々はうろたえ、口々に不平を言ったので、神の怒りをかった。そこで今度は、慌ててめいめい武具をまとい、戦おうと出かけていこうとした。神はその行為をまだ時期尚早であると諌めたが、人々は遮二無二進軍し、逆にアモリ人から散々にやられてしまった。

このような敗北の経過があったため、その後非常に長い期間を彼らは砂漠に留まることになってしまった。いよいよ入国しようというとき、彼らは一旦南へ進路をとってアカバ湾まで行き、そこから大きく東へ道をとって死海の東側へと北上しようとした。その進路でさえ、エドムやモアブが行く手をはばんだ。特にアモリ人やバシャンの王とは一戦を交えてユダヤ人は勝利を収めた。
いよいよカナンへ入る直前に、モーセは神に死を宣告される。神はモーセを一つの山―ネボ山の頂に導いたという。その山はエリコの向かいにあって民が神から受け取るすべての土地が見渡せた。「ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまで」(申命記三十四章一~三節)。私は歳を取ったモーセが涙を流しながら沃野を見ている様を思い描いた。モーセがあまりに可哀想だという人が多いが、私はそうは思わなかった。ヨルダン川を渡った後の民の遭遇する闘いの苛酷さを思う時、むしろモーセは一番良い時に死んだと思う。神はモーセに代わって人々を導く者として「神の霊の宿っているヌンの子ヨシュア」を選んだ。これらのいきさつから私が感じ取ったのは、モーセの死の、恵みの豊かさだった。
さて、四十年という歳月は一つの世代の交代を意味していた。エジプトを逃れ出た人々は死に、その子らが約束の地を受け取ることになる。彼らはレバノン河を、奇跡によって足を濡らさずに渡河したと聖書に書かれている。その晴れがましい指揮をとったのがヨシュアである。「ただ強く、ひたすら雄々しくあれ」と神はヨシュアを励ましたと聖書は語る。(ヨシュア記一章七節)
無事に渡河したあとに待っていたのは先住のカナン人たちだった。神はこれらの人々を滅ぼしつくすよう命じ、様々な奇跡を行ってユダヤの民を勝たせる。これらの滅ぼし尽くされた町は「主への奉納物」とされたと書かれている。
アイという町では、戦に負けて仲間たちが戦死してしまう。民の心は「挫けて水のようになった」(同七章五節)。ヨシュアは神に祈り、嘆願した。すると神は「恐れてはならない、おののいてはならない」と励まし、ある作戦によってアイを打ち負かすことができたと、聖書は語る。ヨシュアの華々しい戦果をみて、ギブオン人は自ら名乗り出てイスラエルの民に隷属するものとなった。ギブオンは重要な町で、その男たちはみな戦士であった。このため、他のカナンの王達は恐れをなして連合し、ギブオンへ攻めてきた。ヨシュアは夜を徹してギブオンへ向かった。そして、あの有名な祈りを捧げる。
「陽よとどまれ ギブオンのうえに
月よとどまれ アヤロンの谷に」(ヨシュア記十章十二節)
この祈りが聞き届けられ、ヨシュアは敵(連合軍)を打ち倒すことが出来たという。「主が人の声を聞き届けられたこのような日は後にも先にもなかった」(同十四節)。
こうしてヨシュアはその土地を平定し、更にカナン北部も占領し、土地を十二部族が分割してわけあうことになる。
その分配はスムーズに行われたように記されているが、実際はすったもんだがあったに
違いない。もともとエジプトに移住しなかったユダヤ民族の一部は、カナン地方に残っていた。これらの残存組をふくめ、十二の部族を統括し、結束させることに成功したのは、ヨシュアの手腕によるところが大であると言い伝えられている。

このカナン入国の物語は、本当はどういうことだったのか。今のイスラエルの問題と同根の、侵略戦争だったのではないか、血で血をあらう戦争が神の望みであったのか、このようにしばしば言われるのだが、今のイスラエルの問題については短絡的に結び付けずにきちんと現代史を識る必要があるだろう。
申命記には、次のように書かれている。
「あなたは心の中で次のように言ってはならない。『わたしが正しいから、主はわたしをこの土地に導き入れて、これを所有させて下さったのだ』これらの民が邪悪だから、主はあなたの前から彼らを追い出されるのだ。あなたが正しいからでも、あなたの心がまっすぐだからでもない。これらの国々の民が邪悪だから、あなたの神、主があなたの前から彼らを追い出されるのだ」「それは主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた約束を果たされるためである」(申命記九章四節~五節)。
また同じ申命記には次のような記述が見られる。「彼ら(カナン人)は、主が憎み、忌み嫌われるあらゆることを、その神々に対して行い、自分たちの息子や娘さえも火で焼いて、自分たちの神々にささげたからである」(同十二章三十一節)
さて、聖書はあちこちの箇所でユダヤ民族自らの歴史を「信仰告白」として省みている。BC三十年ごろに書かれた「知恵の書」を最近読んだのだが、その作者も歴史を振り返り、カナン入国を整理して次のように書いている。
「あなた(神)の聖なる土地に昔から住んでいた者らを、その忌まわしい行いの故に、魔術の業と不敬な祭儀の故にあなたは憎まれた。彼らは無慈悲にも子供を殺し、人肉の宴を開いてはらわたを食い、血なまぐさい祭の最中に狂って教えに入門し、か弱い者の命を絶つ親たちであったから、あなたは私達の先祖の手で、彼らを滅ぼそうと決心された。」(知恵の書十二章三節~六節)
興味深いことに、この文章は「神の寛容」という見出しの中に置かれていて、次のように続いてゆく。「しかし彼らもやはり人間であったのであなたは彼らを優しく扱い、熊ん蜂をあなたの軍のさきがけとして送り、彼らが徐々に滅びるようにされた。(中略)むしろ彼らを徐々に罰して悔い改めの時を彼らにお与えになるためであった」(同八~十節)
入国した民は、戦いによって土地を奪ったが、またその土地にある人々と婚姻関係を結んだりした。その結果、偶像崇拝はのちのちまで残り、列王記以下にみられる争いと荒廃の原因となったとされている。
「神は偶像崇拝を殲滅させたかったのだと、知恵の書の作者は言っている。旧約聖書を読みはじめ、出エジプトから始まるカナン入国の物語を読んだ時はよく解らなかったが、この知恵の書まで読んでようやく、あのカナン入国にはそのような意味があったのだと、解りました」このように、聖書講読会で、お仲間のKさんが語っていた。

聖書を読むかぎり、ヌンの子ヨシュアほど神に愛され、祝福された者は少ないだろう。偉大なモーセがためらうことなく後継者に選んだだけのことはあったと思うのだ。「雄々しくあれ、強くあれ」と励まされたヨシュアの姿は、いつも私を励まし元気づけてくれる。そしてギブオンとアヤロンの二つの地名は、ヨシュアのこの上ない僥倖のあかしとして、私の中でいつも変わることなく輝いている。