紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

花眩暈わがなきがらを抱きしめむ
冬野虹の名を知る人は多くはないと思う。しかしその仕事は私を惹きつけてやまない。私は紹介もかね、冬野虹の人となりと作品について、少し書いてみたい。私が今でも時々冬野虹を思い出すのは、秋の陽を浴びた草の実をみつけたとき、あるいは台所でマヨネーズを使っている時。前者は草の実の蔓の繊細な動きに冬野虹の絵の感じを思うからだ。後者は以前「むしめがね」で読んだ、次のような俳句を今でも記憶しているからだ。
根津の坂道マヨネーズポロネーズ
冬野虹は一九四三(昭和十八)年に大阪に生まれた。二〇〇二年、五九歳で突然世を去った。画家、俳人。俳句は三四歳の時に始めた。詩、短歌も作っている。私が初めてこの人を知ったのは四ツ谷龍の「むしめがね」という俳句誌による。突然の訃報を知ったのもこの同人誌による。私は非常に残念に思い、不躾にも電話をかけて何故亡くなってしまったのかと訊いた。四ツ谷龍は寡黙に、原因は分からないと答えた。「虚血性心疾患」であった。
冬野虹は本名四ツ谷順子。結婚前の姓は穴川。五人兄弟の真中で父は綿布製造会社の経営者。服飾や布、糸などへの関心をもつきっかけになったと、年譜に記されている。「両親は大変封建的な考えの持ち主であったので、姉のモダンダンス塾通いには、最初から最後まで反対しつづけていた」と、エッセイ「桜の木」(冬野虹作品集成 第三巻)に書かれており、歌の中でも距離感を感じる。「はるのゆき浅く掃き寄せふと止める手よりも遠くおもはるる父」(『かしすまりあ』)虹が心から慕うこの姉は、三四歳で病死。虹二六歳のとき。そのあくる年に画家増井英と結婚し、一男を得た。夫の渡仏にしたがってパリ郊外のヌイイに三一歳から三三歳まで居住。夫とはどの時点で、どのようないきさつで別れたのかは、年譜では判らない。三六歳のときに四ツ谷龍と出会い、四四歳のときに再婚。
三八歳のときに所属する同人誌「鷹」の、「鷹新人賞」を、またニューヨーク俳句会フェミナ賞を受賞。五十歳のときに、「第一回歌曲歌詞コンクール」(鎌倉美術館主催)で詩「あした りすに」が受賞。この原稿を書くにあたり、冬野虹の作品集を参考にした。これは、今年の五月に四ツ谷龍によって上梓されたもので、冬野虹作品集成・第一巻『雪予報』第二巻『頬白の影たち』第三巻『かしすまりあ』から成っている。第三巻には四ツ谷龍による詳細な年譜が掲げられている。年譜から分かることは、本物(genuineなもの)に惹かれて、旅をし、時代の第一級の人々に触れ合って生きた人ということだ。たとえば四ツ谷龍と毎年のようにフランス、イタリアを旅したこと。永田耕衣、吉岡実、野崎歓、中西夏之、高橋睦郎、塚本邦雄、ピナ・バウシュ。積極的に講演を聴きに行ったり、自宅を訪問しているところに注目した。

俳句
俳句集「雪予報」は、一九八八年に沖積舎から刊行された。一九七七年(三四歳)から十年間の句作品を収録。
荒海やなわとびの中がらんどう
羽蟻きて夕陽の色に発泡す
たばこ草胸のあたりからかたむきぬ
夏畳子猫の耳の線暮れぬ
四首ほどアトランダムに書き出してみた。言葉の感覚が独特で、非常に繊細でありながら大胆な大きさを持っていることが感じ取れる。「雪予報」のタイトルは
自動ドアわなわなひらく雪予報
の句から取ったという。四ツ谷龍の「あとがき」によると、関西の雪は「人々の肩にはらはらと降りかかり、またふっと消えてしまうような雪、あるいは太陽の下にみるみる嵩を減らしてしまう積雪」であるという。その雪の明るく淡い感じが冬野虹の句にしばしばあらわれる雪のイメージであるという。
雪の日に来る硝子売をいぶかしむ
雪兎四方はあかるし陽は縞に
雪吊や三連音符山の晴
また、遺作集「網目」の次のような句が目にとまった。
つたへてよ粉雪きよき日の時計
ここに住みにほひすみれにみつめられ
文月や雨ふるやうに笑みかはす
よるべなき十字路なりし夏衣
ゆふぐれを怒る体は富士の山
笑ひ茸あをいポンプを持ってきて
声の皺夜空にとどく孔雀石
勾玉のまがりの夏の夢に来よ
花冷の倉庫のやうに泣いてばかり
はっはっと犬走り寄る枇杷の色
これらの句のどこに私は惹かれるのか、よくわからないが、結句の意外性(時計、夏衣、富士の山、枇杷の色)修辞の巧みさ(雨降るやうに笑みかはす、よるべなき十字路、怒る体、声の皺、勾玉のまがり、倉庫のやうに)が魅力になっているだろう。それらすべてが冬野虹にとっては雑作もないごく自然にでてきた言葉のように感じられる。勢い込んで表現しようと昂ぶる心ではなく、ほんとうにありのままの冬野虹の言葉なのだと感じさせるところが、凄さかもしれない。さきほどひいた、
根津の坂道マヨネーズポロネーズ
この句は体言止めで成り立っており、動詞も形容詞も形容動詞も副詞もない。多分、季語がない。しかも七音、五音、五音。とてもユニークな構成である。根津、ネーズ、ネーズと韻を踏んでいるようだ。土地の固有名詞は豊かなイメージをもっている。土着的だったり、垢ぬけていたり、ユーモラスだったり、暗かったり、楽しかったり、夫々に想像力を刺激する。この句にある、根津は文京区にあり、東大の本郷赤門の近く、そして子規庵も近くにあることから、なんとなく都会的で且つ知的な洗練を感じさせる。その後に続くマヨネーズはその都会的な洗練を一挙に突き崩し、自らを斜に感じさせようとする、あるいは自らを軽さと笑いのなかへいったん放り込む。そしてそのひびきによって導き出されるポロネーズは、ピアノの音の連なり―明るく洗練された世界へともう一度読者を揺り返す。
「坂道」はそのピアノの響きと繋がっていて、きらきらとした音の粒が勾配のある路面を転がってゆくかのように、イメージが展開する。
最近、ある脳科学者の本を編集する機会があった。左の脳は一般に言語をつかさどり、意味を捉える。右の脳は情感、音色、色彩を把握すると言う。この句を左脳で読む限り、意味はさっぱり分からないが、なんとも言えない音の魅力は右脳がとらえるだろう。

短歌
冬野虹は俳句・詩とともに短歌も詠んでいた。短歌は俳句よりずっと後に、四十九歳の時から始めた。短歌はどうしても作者の背景が露わになりやすい詩形であるが、私が面白く思うのは、旅や病気や人々との交流は描かれても、秘められた人生の回想は出てこない点である。おそらくは、「何を詠わないか」を決めていたのではないだろうか。この歌集『かしすまりあ』を通読してその透明感と心地よさ、痛々しいほどの繊細さと、おもいがけぬ明るさに私は俳句集を読んだ時同様、共感し、感動したのである。
きんいろの紡錘のかたちのくだものに夏のゆふべは連れ去られけり
春の空は白磁の皿に降りてきておどろきやすき翅をもつかな
黒猫の枝豆形によこたはる毛布のくぼみかなしかるらむ
冬野虹の短歌の魅力は、その言語の自由な駆使にあると思う。とくに音を色彩で捉える繊細な感性、香りや匂いを詠むことで独特の世界へ読者をいざなうところなどに私は魅力を感じる。いくつかの例をあげてみたい。
笹の葉に淡雪羹は咲いたまま眼は内部より照らさるるべし
葡萄珠にささげる祈り陽の祈り陽の絶壁にくちづけるまで
葉生姜のうすべに細く香りたち風鈴の中にはいってゆきぬ
南天の実にぽかぽかとピアノ音あたってゐるを誰も気付かず
ねぢ巻の目覚時計に言ひきかすこんなにたかくリラ香ることを
カルピスを氷で割ればゆふぐれの鐘の中から声駆けだしぬ
こよひこそ月を観るため縁側にうちのめされてひかりを待たむ
等々力にさくらは吹かれラジオから海のあしおとこぼれてをりぬ
深紅のカシスソーダ水つくる長いスプーンの尖の錆の香
ポプラの葉は高い梢の輪転機かがやきながら活字打つ音

詩についても書きたかったが次回にしよう。冬野虹。生きているときに、どうして逢っておかなかったのだろう。尊敬する人々の戸口を訪れ、ノックした彼女自身のように、私も彼女の扉を叩くべきだったと痛切に思う。
彼女を失った四ツ谷龍の仕事ー見事な作品集を夜毎に読む。このたとえようもなくうつくしい三冊の作品集は、龍の気持を表して余りあるだろう。冒頭の句は、かなり初期のものだが、龍へのメッセージのような気がした。
最後に虹が姉の思い出を語ったエッセイの中の一節を、虹にささげてこの稿をとじたい。
「亡き人の想い出は、残された者に、美しく、なつかしい部分だけが時を経るほどに大きくふくらんでくるものだから、何を記しても、死者にささげる花束のようになるものである」「桜の木」(『かしすまりあ』より)         2015年8月