紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

中学三年の頃の、恋の思い出を、最近になってしきりに思うことがある。
一日の授業が終わると日直の掛け声で生徒たちは起立、礼をしてから、一斉に机と椅子を大きな音と共に教室の後ろへ寄せる。その後の清掃のためである。
その際ほんの一瞬だが、私の右前方の生徒が、振り向きざまにきまって上目に私を見るのだった。私はひそかにその瞬間を待っていた。私が見るから彼が見るのか、それとも彼は一方的に見ていたのか、ともあれ、私は毎日帰宅すると、「彼が私を見た」と日記に書いた。  一日の中でその瞬間だけが火のよう鮮やかに心に刻まれてしまうのだ。
私の目を一瞬だけ見る彼の目は、驚くことに瞳が緑色をしていた。その緑の瞳の一閃に私の体中をアドレナリンが駆け巡るのだった。
そのころ読んだ藤村にこんな詩があった。

祇園の桜散り方に
一夜の君は黒目がち
うはめするとき身に沁みき
そはわすれてもあるべかり
若き憂ひのさはなるに

記憶だけで、出典にあたっていないので、漢字と仮名の表記は違うかもしれない。
私は最近になって「さはなるに」という言葉の意味を識った。この「さは」は沢山、という意味なのらしい。美しい黒目がちの乙女の、上目するとき身に沁みき、なのである。 だが、作者の若者は恋多き存在だから、忘れてしまったって構わない。というような意味ではないか。
たしかに、あの睫毛に縁取られたきれいな目、しかも瞳が緑の目。「上目するとき身に沁みき」とは私の気持ちそのものだった。
口を利くわけでもなく、何かしたわけでもない。ただ目と目があっただけなのに、どうしてそれがあんなに大事件だったのだろう。
彼は美しい少年だった。けれども、いつもひどく汚れていた。野球が好きで、暇さえあればグランドへ飛び出していって野球をやっているので、頰などはいつもほこりでずず黒くなっていた。制服もすっかりくたびれてよれよれだった。上靴のかかとを踏み潰し、ぺたんぺたんと面倒くさそうに廊下を歩いていた。外で激しく動き回っているぶん、教室は休憩のためにあるかのようで、いつもだるそうに見えるのだった。
グラウンドでは、外野にいて所在無げにしているのだ。それでいて、球が飛んで来ると目にも止まらない速さで動き、キャッチして投げ返す。そのギャップたるや凄い。先生までが、「お前はいかにもやる気がなさそうにぶらぶらしているくせに、球が来るとすげえなあ」と言うのだった。体の中に目に見えないバネのようなものがあるとしか思えないその俊敏さが女子たちの憧れになっていった。
友人のYも彼に夢中だった。彼がどんなに無口であるか、どんなに格好良く球を投げ返すか、彼を家の近くで見かけたとか、あんなふうだった、こんなふうだったと、きりもなく私に言うのである。
あるとき、Yはついに彼に「告白」することになった。私とYは色々と策をねった。校内で、誰もいない場所を考えた。結局放課後の三階の踊り場がいいということになった。そこは、もうその上は屋上しかないので人はめったに上がってこなかった。その日、Yは先にその場所へ上がって待っていることになった。明るく陽が差し込んでいた。私が彼を誘い出して彼女のところに連れて行く段取りであった。
会わせたい人がいるというと、彼はすんなりとついてきた。
階段を先に立ってあがって行きながら私は振り向いて「誰が待っていると思う?」と言った。彼は片頬だけで笑って返事をしなかった。
ダレガマッテイルトオモウ、という一言は五十年もたった今も忘れられない。私は彼と口をきいたのだ。たとえ、それが他の女生徒に引き合わすというためであったとしても、私にとっては構わなかった。彼と口をきけたというその一つのことだけで私は満足だった。ダレガマッテイルトオモウ、という言い方には姉さん気取りの響きがなかっただろうか。いや、きっとあったに違いないのだ。私はそのことが今でも少し気になるのである。
私は彼らを踊り場に残してさっさと退場した。後のことは何も覚えていない。実際、その後、ふたりが交際を始めたというようなことは一切なかったのだ。今とはちがって、私達の中学時代はとても慎み深かった。やがて中学を卒業すると私たちの恋もあっけなく終わってしまった。私もYも彼もそれぞれ別の高校へ進学した。
ところで、高等学校に入学して程なく私は彼に瓜二つの男子を発見した。細面の瓜実顔で、きりっと引き締まった頰、口元。私は、入学式の時の写真を、Yに見せた。彼女もびっくりした。本当にそっくりね、と言った。私は少し得意だった。
だが、私はこの人に惹かれることはついになかった。彼はあの、身に沁みる緑の瞳で私を見る少年とは違っていた。そっくりでありながら、違うということはなんという無念さであろう。ほとんど、この男子を憎みたくなるほどだった。
その後、緑の瞳の彼はどうなったのだろう。仕事で東南アジアの方に行っているという噂をきいたことがあったが、幸せに暮らしているだろうか。あの綺麗な瞳で今は何を見ていることだろう。
2015年10月