紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

子育ても一段落してみるとその時間がもう二度と戻ってこないことを惜しみたくなる。

とくに三男は、楽しませてくれた。その分、さっさと独立し、めったに顔をみせることもないのだが。

この三男は「幹三」という名前なので、かんちゃん、と呼んでいた。その三歳のころの保育園の連絡帳が出てきた。十月から十二月にかけてのノートだ。長男はすでに中学一年、次男も五年生だった。かんちゃんのマークのてるてる坊主が手帳の表紙に書いてある。普通は熱が出たとか、食欲が無いとか、お迎えの時間が遅れるといった事務的な内容を記すものなのだが、私は随分はみだして、いろいろなことを書きつけている。たとえばある日は、こんな事を。 「けさ、寝ぼけた幹三を抱いて階段から降りようとして七,八段も滑り落ち、尾てい骨を強打してしまいました。家族でその事を話していました。夕方、上の兄が、『かんちゃん、声がかれているね。保育園で泣いたの?』『ううん』と否定してから考えて、『あやともえがぶったの。しょいで、ビテイコツ打ったの』」  保育園でも、会話の中で突然ビテイコツが出てきて、 「あのね、ビテイコツってね、おおきなマルの中にあるんだよ」なんて友達に話しているので、「ビテイコツって、どこにあるの?」と先生がきくと、「おしりのことだよ」と言うはなし。先生は、「連絡帳を読む前でしたので、驚いたのですよ」と。 「階段から落ちた時、足も打ちました。幹三はさいわい無傷でした。無理して会社へ行ったので夜ひどくなって、とうとうソファに横たわっていると、とても寒いので、『寒い』と言ったら、洗濯物をたたんだ山から幹三がバスタオルを出してかけてくれました。思いがけない親切にびっくりしてお礼を言ったら、真っ赤になってにやにや。お兄ちゃんのジャンパーもかけてくれました。『寒いの?困ったねー』なんて言いながら。ご飯食べてる兄たちより、よっぽど気がきいていました」

ある日。 「りょんりょんてかわいいんだよ」 「どうして?」 「だってお昼食べたあと、ごちとうたまって言うんだ」 「ふーん、かわいいね。で、あんたは何て言うの? ご飯済んだら」 「あのね、ごちしょうしゃま、って」 似たようなモンですけどねえ。

ある日。 「夕方、しのはら先生が紙芝居をしています。終るまで、いつも私は先生の後ろの椅子に坐り、みんなの顔を眺めています。みんなが余り可愛いので、いつも見とれているのです。 さて今日、私が現れると、誰かが、 『幹三、帰れよう! 帰れよ!』と言います。幹三は紙芝居を最後まで見たいので、無視していました。うちでそのことを話したら、 『そんなことを言うなんて、ひどい奴だ』とお兄ちゃん。 『いや、嫉妬なんだよ』と、お父さん。 『あのね、そんなこと言ったの、トッチだからね、こんどトッチのお母さんが紙芝居やってる時に来たら、帰れよ、って言っちゃお』と幹三。(言えはしないだろうが!)」

十月は誕生月で、保育園からカードを頂いた。本人の手と足の型をインクでつけてあった。 ノートには、こんなことが書かれていた。 「かわいい兎のカードありがとうございました。お父さんが頁を開いて、『やあ、かんちゃんの足なんだね。なんていい足だろう!』反対側も開いて、『わあ、手もあるぞ。なんてすばらしい手だ!』」  こんな記述を読むと、なつかしい夫の声がきこえてくるようだ・・・。    また、ある日。長男はもう中学生なので、オチビさんもとてもおませに。 「上の兄のカメラの雑誌を見せてもらっていました。女高生の写真が十五枚ほど載っている頁。『かんちゃん、どのオネーチャンが好き?』『この人』『わーっ、一番美人を選んでらあ。どうしてこの人がいいの?』『アノネ、ダッテネ、ステキだから』『アーハッハッハハ!』 お兄ちゃんは転げ回って笑っています。そして、その写真を切り抜いて、台紙に貼ってくれたのです。かんちゃんは、その写真をためつすがめつ、ずーッと眺めておりました。 それにしても、その写真の子は、たしかにかわいこちゃんなんですよねー。『エライ!見る目がたかいっ!』とか、お兄ちゃんが褒めています。

先日、久し振りにうちへ戻ってきた三男。彼女をつれてきた。明るい雰囲気の人で、介護の仕事をしているとか。マンションを購入してから、結婚するらしい。すっかり逞しくなって。小さかった頃のことなど、覚えていないだろうな。

ある夜。「お父さんが会合に出かけて、遅いので、幹三が『おとうちゃーん』と泣きます。仕方なく、雨合羽を着せ、あてもないのに駅の方へ行きかけたが寒いし、眠いしで『おとうちゃーん』を連呼。何とも情けなくなり、苛々して私は『お父さんはかんちゃんのことなんか忘れてるから帰ってこないのよ!』すると『あーん あーん』ともっと泣きます。『おうちに帰って、パーシーと、ヤエモンと、チュウチュウと、ノンタンと、ピーターパン読んであげるから、泣かないで』と言ってもまだ泣きます。玄関にたどり着いて、『かんちゃん、泣くんなら、駅までひとりでいってらっしゃいよ。お母さん、寒いからイヤだからね。鍵かけちゃうから』と意地悪く言うと、『あーん あーん』。すると次兄が二階から降りてきて、『ほらほら、かんちゃん、これあげるからもう泣かないのよ』と、小さな親指ほどのヒコーキをくれました。幹三はすぐ泣き止んで、じっとヒコーキをみつめています。悲しいながらもなぐさめられたのでしょう。・・・帰って来たお父さんに話したら、『そんなことを言うなんて、なんてひどいんだ! こどもを傷つけるなんて』  まったく、ごもっともでした。」 それにしても次男は昔からやさしかった。

ある日。 保育園で描いた絵を持ち帰り、家族に見せています。お父さんが帰ってくると、早速、『ほら、すごいでしょう、何みたい?』『うーん、すごい! 新幹線がトンネルから出てきたみたいだ。』『お母さんは何みたい?』『おおぜいの雪んこが、わっしょい、わっしょい、おまつりやってるのかな』『ちがう。あのね、花火みたいでしょう。それから、トラとライオンと、ワニみたいでしょう!』さながらロールシャッハテストでした」 「自分で作ったブロックの駅を見せ、『お母さん、こんなの作れる?』『作れないなあ』と言うと、『なんで?』『だって、すごくかっこよくて、ほんものみたいで、立派なんだもん』 『なんで?』『だって、ほんものの駅って、むずかしいんだもん』『なんで?』『だって、まるで駅ビルつきの、十階だての、すごい大きな怪獣みたいな駅なんだもん』「・・・なんで?』 もうタネが尽きて、私は言います、『かんちゃんは、なんで?』『あのしゃあ、だってしゃあ、すごーいクレーン車みたいだから?』 と、自分が言ってほしかった言葉を言う。その言葉が相手の口から出るまで、『なんで?』が続くようです。おばあちゃんなんか、閉口しています」

ある日。ヨーカ堂で、買い物中、迷子に。 「『おもちゃ売り場で待っている』と言うので、安心していたのに、場内アナウンスで『いちはらかんぞうさまのお母さん・・・』幹三は泣いていませんでしたが、顔を覗き込んだら、泣いたあとがありました。かわいそうなことをしたなと思いました。」

ある夜。 「夜、幹三と二人で犬の散歩に行きました。星のきれいさが、寒さを忘れさせてくれました。ひときわ大きく明るい星を指さして私が、『ホラ、かんちゃん、お母さんのお母さんはね、ずうっとむかし死んで、あのお星様になったのよ』と言ったら、『どうして死んだの?』と不思議そうに言います。『病気になって死んじゃったの』と言ったら、『フーン、しょいで、あのお星さまのなかに、病院があるんでしょう!』と納得したように言うのでもうワッハッハ!と大笑い。

まだまだこんな調子でノートが続く・・・素っ頓狂な家族であった。