紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

五年前のある日、私は駅前で選挙の応援のビラ配りをしていた。無党派市民派の市長を擁立して市民として支援していたのだ。一時間ほどたって、道に落ちていたビラを拾おうと、何気なく身をかがめたとき、信じられないぐらい体が硬くなっていることに気づいた。身をかがめるのがやっとのことだった。私は密かに衝撃をうけた。その頃、私は歩いていると、よく人に追い越されてしまっていた。速く歩けないのである。私は追い越されると情けない気がしてなんとかその人をまた追い越そうと思うのだが、ほぼ絶対に追い越すことができなくなっていた。その後に私は歩行に支障をきたすようになった。なにしろ股関節が痛いのだ。さもなければ臀部が痛くなる。そうかと思うと太ももに痛みが突っ走る。痛みを予測しないで駅まで歩くことはなくなっていった。駅まではたった五、六分の距離なのに。痛む場所があちらこちらするのは神経痛だからである。思い立って整形外科へレントゲンを撮ってもらいに行ったら、「脊柱管狭窄症になりかけている」との診断だった。
そんな状態が続いていたある日、知人に勧められてCというスポーツクラブに入った。
西隣にある武蔵小金井のジムまでは自転車で十五分ぐらいである。Cはアメリカ系の会社なのでそのせいかドアをあけるやいなやファーストネームで「しずかさん、こんにちわ」と必ず私の名前を呼ぶ。更に「よくがんばって来ましたね」という声が飛んでくる。毎日通っている人々とは違って私は週に一回か二回しか行けなかったから私を励まそうとしてそういう声かけをしてくれたのだ。ちなみにここは六十代、七十代の人が多く、会員もトレーナーも女性のみ。その頃私は六十代半ばだった。
ジムには十二種類のマシーンが輪になるように設置されており、その間に一つずつの板がおかれている。三十秒間マシーンを使ったら次の三十秒は板の上で運動をする。ランニングの形を取っても良いし、ただ足踏みをしているだけでもよい。マシーンと板の上の運動を交互にくりかえし、サークルを二周する。終わったらストレッチを五分ぐらいやる。全部で三十分位しか要しないので毎日の生活の中で時間を見つけて続けることができる。
昔住んでいた町なので、数十年ぶりに色々な人に再会した。三人の子供のうち上二人の、六歳と三歳まで育てていたから、知り合いも当然多いのである。トレーナーにも「しずかさん、めっちゃ友達多くないですか」などと言われた。「しずかさん、先生かなにかしておられます?」と訊かれたこともあった。個人的な関心をもってもらえることも嬉しいことだった。
しかし、私には武蔵小金井は少々距離があるのが難点だった。一年ほど通ったあと、私は東隣の武蔵境にもっと近いジムを発見した。友人達に会えなくなるのは残念だったが、忙しい生活の中ではそちらのほうが通いやすい。Cというジムは全国展開しており、いたるところにあるのだ。私の足の痛みはいつの間にか改善され、駅まで歩いても痛くないどころか、人から追い越されるということもほとんどなくなった。また若い頃のようにすたすたと気分良く足が運べるのがなによりも嬉しい。トレーナーにそのことを話したら「ほんとですか、しずかさん、すっごーいですね」と飛び上がって大喜びしてくれた。
もともと運動は好きではない。高校生の時はエスケープと称して一回も運動会に出なかったつわものなのである。小さかった頃、戦後の食糧のない時で、栄養失調で青い顔をしていた私はまた、姿勢が悪くて猫背だった。母はそんな私の猫背を治そうと、バレエを習わせてくれたのだが、猫背は全然なおらないどころか、さらに「外股」が加わってしまった。私はいつも他の人たちが半ば本能的に動きを覚えて踊っていることに圧倒された。私は頭の中で次はどんな動きをするのかをいちいち考えなければならず、従って他の人たちにいつも数分の一秒ほどの遅れをとるのである。バレエはそんなわけで小学校六年生でやめてしまった。
運動が苦手なのでCへ行くのもおっくうでしかたがない。だが、一日机に向かっている日などは午後になると肩がこってくるので、やれやれとばかりでかけてゆくのである。ジムを近くに変えてからは、週に二,三回は通えるようになり、しばらく行かないと物足りない気がしてくる。それにまた痛みが出てくる。
Cは組織の方針なのか、至る所に張り紙が貼ってある。天井からさえぶら下がっている。筋肉トレーニングがいかに体に良いかが書いてあるのだ。活字中毒の私はそれらを隅からすみまで熟読。新しい張り紙が増えると読むことに一生懸命になるあまり、マシーンに激突してしまったことさえある。その張り紙にはこんなことが書いてある。
痛む箇所ーたとえば膝を、痛いからと動かさずにいると、痛みは増してしまうことがあるという。これは動かさないことで筋力が低下することが原因なのだ。太ももの筋力をつければ膝の関節への負担が減って、痛みは軽減する。痛みの段階を色々と図で書いてある。激痛が寝ているときも続く場合は安静が必要だが、初期の激しい痛みが過ぎたら負担のかからぬように徐々にトレーニングをしていく。また腹筋の大切さも力説されている。「お腹ぽっこり」をいかに改善するかが図示されている。腹部の脂肪は付きやすいがとれやすいのだという。腹が出てくる原因は加齢とともに筋肉量が減って脂肪が増えることにある。腹筋のみならず全身の筋肉をバランスよくつけることで基礎代謝を高め、脂肪を燃やしやすい体を作ることで「お腹ぽっこり」は解決するという。
その他、運動している人としていない人の認知症になる度合いは、していない人の方が顕著に高い(習慣的に運動している六十五歳以上の女性は、全くしていない人に比べてアルツハイマー病の発生率が半分)、記憶力のアップにも運動は有効だとか、血圧が三ヶ月で正常になるとか、糖尿病になる確率が下がるなど、良いことがとにかく一面に張り巡らしてある。模造紙に四十枚は貼ってある。
私は息子一家と同居しており、食事係を引き受けている。そのため私が外出すると息子が「お母さんどこへ行くの、、必要がないなら出かけないでよ」などと一言言うのだが、「運動しに行ってきます」というと、憎らしいことに大変機嫌良く「行ってらっしゃーい」と言う。私が寝たきり老人になると自分たちが困るので、なんとしてでも運動をしてほしいのだ。たしかに「寝たきりにならないためには筋トレが有効」という言葉も壁一面の四十枚のどこかに書いてあった。
マシーンの名前を覚えるのは私の脳トレである。それぞれカタカナのややこしい名前がついているのである。アブバック、オブリーグ、ラテラルリフト、チェストバック、ペックテック、ショルダープレス、バイセップ、レッグエクステンション、グルート、レッグプレス、レッグカール、スクワット、ヒップアブダクター。初めの七つは主に上半身、後の五つは下半身を鍛える。行き始めた頃は下半身が苦手だった。今は苦手感のあるものはほとんどない。動作中にトレーナーが来て私の腹部に手を触れ、「しずかさん、腹筋にしっかり力入ってますね」と褒めてくれる。あるとき「先生が近づいてきたから急いで入れたんです」と言ったら即座に「しずかさん、正直ですね」という言葉が返ってきた。また別のトレーナーに同じ事を言ったら「それじゃあ、頻繁にしずかさんの所に来なくちゃね」と言われた。これも即答である。彼女らは何と臨機応変に答えてくれることだろう。ところで彼女たちはどうして会員の名前をすべて覚えることが出来るのだろう。私がジムを変えた後程なく、同じジムから武蔵境のジムへとトレーナーの一人が移動になってやってきた。彼女はわずか一月ほどで四百人以上のフルネームと顔を覚えてしまった。「あっぱれですねえ」と言ったら「必死ですよ。だって、名前を呼びたいじゃないですか。」と言っていた。私が運動していた或るとき一人のトレーナーが「市原さん」と呼びかけてきたので、びっくりして「私のフルネームを覚えてるのね」と言ったら「そりゃそうですよ」と軽く言われてびっくりした。「プロですねえ」私はつくづく感心して言った。
こうして元気で心のこもったトレーナー達に励まされたり、運動効果に勇気づけられたりして通ってかれこれ三年になる。実はその往還が私にはことのほか楽しい。武蔵境までは電車の高架線の側道をまっすぐに行く。片側は高架下の店やカフェがならび、片側は団地の庭先の植栽が楽しい。カフェにはいつも立ち寄りたいと心をそそられるのだが三、四回しか立ち寄ったことはない。何しろ夕飯の支度に追われ、時間の余裕がないのである。全面硝子のカフェの窓からぼんぼりのような赤い灯りがともっているのが見える。いつかその灯の下にゆっくりとくつろいで、持参の推理小説など読みたいものだ。そのときはきっと、パンケーキを注文し、たっぷりのバターとシロップをかけて食べよう。(おっと、せっかくジムで減らしたカロリーがしっかり戻ってくるか)。
一本道である。一本道はなぜか寂しい。高架のコンクリートがじゃまして富士山は見えないが夕暮れ時には遥か突き当たりの方角に青い山かげが見える。私はそんな寂しい一本道を自転車で行くのが好きなのだ。新しい道なので思い出が何もない。古い道だと様々な思い出が私を悩ますのだがそんなことが皆無なのが嬉しい。道ばたの花が四季折々の変化を見せてくれるのもありがたい。私の短歌はほとんどこんな往還の産物だ。最後にそれらの下手な歌をいくつかあげてペンをおきたい。    2016年4月

扉(と)を押せばちがうわたしに逢えそうな茶房の窓はあおぞら映す
飛びめぐる鳥の翼のシンメトリー杳(はる)かな神の忘我のなかを
霧雨のスパンコールをちりばめる矢車草は誰か待つらし