紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

たまたま所属している短歌誌から「電話」について書くようにとの依頼がきたので、この一月ほど電話のことをあれこれと思い巡らしていた。
電話ほど時代を反映するアイテムも珍しい。帽子とか椅子とか窓とかとは違う。電話の形態は激しく変化してきたからその時々の世相を直截的に反映するのだ。手元の歌集を書棚から取り出し、好きな歌をアトランダムにひいてみよう。
とびっきりのショコラがあるの 冗談じゃないぜ受話器のやわらかい肉         加藤治郎『マイ・ロマンサー』
これはシュールな歌だ。相手の唇がすぐそこにあるようで、受話器はしばしば肉感的な感じになる。

舌は血にふくれあがりて口中にあやつりかねつ夢の電話に   玉城 徹      『窮巷雑歌』
これも初句から衝撃的で自己風刺的。「あやつりかねつ」にこの作者特有の誇張があり、どこか可笑しみがある。

かろうじて 純愛・悲恋 辞書にあり間違い電話のかかる夜の部屋       久泉 迪雄『遠近の眺め』
作者は富山県の代表歌人。夜の部屋の若々しい孤独感が伝わってくる。

電話のこゑやたらと近し「ホラ、そこに月がでてゐます」などといふ       小池 光『静物』
小池光らしい不思議なユーモアが感じられる。これは矢張り電話の声でなくてはならない。

携帯電話を折り畳む音ぱたぱたといくつも響き授業始まる  さいかち 真
二〇一三年に刊行された『浅黄恋ふ』に所収。この歌などは実に世相を反映している。機種は進歩し、変化した。ぱたぱたと、という音はもうしないはずである。だが人々が携帯電話に、いわば捕捉された状態に陥っていることは変わりないだろう。

ケータイと入るバスタブ私はこうして世界とつながっている 浅羽佐和子       『いつも空をみて』
人は、携帯電話に捕捉されつつ、またそれで世界を捕捉してもいるのである。その世界はどんな世界だろう。

エアコンの効かない車のなかにいる感じだ今の電話の会話  中川佐和子『春の野に鏡を置けば』
実際、電話はときとして十分な意思疎通に至れないことがある。それは苦しい。
ところで挽歌に登場する電話は、その受話器のむこうの沈黙によって圧倒的な存在感をもつことがある。
〈さくらゐ〉と言ひさし長き沈黙の受話器に柱時計が鳴るも  桜井登世子  『夏の落葉』
夫君の挽歌の中で、逝去を告げたときの相手の絶句。受話器の向こうの沈黙はさまざまな表情をもち、語りかけてくる。
東日本大震災のあと、「風の電話」という電話ボックスが海へ向かって設置された。人々はそこを訪れ、亡き人へ向かって呼びかける。受話器からきこえてくる沈黙はどれほどの深さをもっていることだろう。その深さに浸るために、人は受話器を耳に押し当てるのだろう。

海中に逝きにし人へ呼びかけて風を越えつつ群鳥わたる   桜木 由香

2016年10月