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短歌を文語で詠む、あるいは口語で詠むということについて最近二つの論文を読み、色々と考えさせられた。(日本現代詩歌研究 第十三号 黒瀬珂瀾さんの「文語とは何か」と、同じく島田幸典さんの〈うたう言葉〉。)そこでそれらを下敷きに、自分なりに考えをまとめてみたいと思う。

短歌のかたちについて
去年角川「短歌」七月号に「もはや抗えないもの」という山田航さんの文章が載った。「文語はコスチュームだ」という。文語と口語、どちらが良いのかということは多くの人々の考えていることだが、文語で短歌を詠むことはもはやコスプレなんだという決めつけには驚いた。とりわけ人生にとって大切な出来事や問題を文語で詠むのは相応しくないというのだ。ずっと文語で短歌を詠んでいる私には衝撃的な言葉であった。
私はちなみに最近は仮名遣いも歴史的仮名遣い(旧仮名)にしている。仮名遣いの方は好みの問題であるとすんなり言い切れる。通常は文語で短歌を詠む=歴史的仮名遣いで詠むと考える人が多いと思う。それは文語という範疇に歴史的仮名遣いが含まれていると思っているからだ。しかし口語で歌を詠む人の中にも仮名遣いは歴史的仮名遣いを取るケースも見かける。作歌においては次の四つの場合がある。
①文語で歴史的仮名遣い
②文語で現代仮名遣い
③口語で歴史的仮名遣い
④口語で現代仮名遣い
仮名遣いに限って言うと、若い歌人が果敢に旧仮名に挑戦している光景は好ましい。誤りをおそれないことが大切だろう。また表記は奈良時代と平安時代では異なる場合もあるし文語文法も時代によって微妙に変わっているので、間違いかと思うとそうとも言い切れないことが時々ある。たとえば、すでに、という意味の「もう」は旧仮名でも「もう」となるが、「まう」とする説もある。そもそも言葉の意味そのものが日々変化していることを私は実感している。凄いという言葉は、いまは普通に誉め言葉としても用いられるが、源氏物語での用法などでは「ぞっとするほど恐ろしい」という意味だった。また前掲書の黒瀬さんによると「あたらし」という形容詞は万葉期には「惜しい」という意味で用いられていた。新しいという意味が生じたのは平安期以降という。黒瀬さんによると茂吉や迢空の活躍していた昭和初期には、彼らの使う言葉が本来の意味とは異なるという非難を浴びせる人々がいて論争が展開されていた。非難に対しては「造語」ということをもって反論することもあったという。造語は、新しい価値観をもって受け入れられていった。

文語で歌を詠むということ
文語で歌を詠むとなんとなく歌に品格が生まれる。歌にとって品格はとても大切な要素と言われている。ついでに文語の良い所を、歌を曳きつついくつか挙げてみよう。
①文語には完了形があり、より深い表現ができる。(「受難曲」眠りたまへとうたへれど血は滴れり声声の間を 「未来」二〇一七年一二月号 黒木美千代)
②リズムを取りやすい。リズムは短歌の命のようなものだと思う。どうしてリズムが取りやすいのかというと、たぶん文語なら助詞の「てにをは」を省くことが可能だからだろう。そして文語には「たらちね」とか「ぬばたま」というような響きのうつくしい枕詞がたくさんある。枕詞によって響きを整えることができる。(あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼 『帰潮』 佐藤佐太郎)
③文語特有の表現ができる。たとえば、「ひとりでに思えて来る」ことを文語では「思ほゆ」という。口語では「思える」とか、「思われる」とか、もたもたした表現しかできない。(音消ゆるあはひほのかに香のたちて亡き人とみし花火思ほゆ 「未来」二〇一七年一二月号 矢野裕子)
④文語は日常に使う言葉ではないので、非日常の位相へと思惟をいざなう。べたべたした口語では日常生活の延長にしかならないところだが、文語で声調高く詠うことで読む者の心がより遠く、より広く、より深くいざなわれる。私は文語の美しい短歌がやはり短歌を詠み読むことの幸せと繫がっているように思われるのだ。(ゆきゆきて川音高しも西岸に妖霊星みよや春の昏れがた 『虚空日月』 山中智恵子)

口語短歌について
冒頭のコスプレ論だが、斎藤寛さんがブログで反論していた。口語で歌を詠むばあいも、やはり定型(五、七、五、七、七)は守られる。定型だってコスチュームと言えるのではないか、と。確かに、冒頭の山田航さんの考えを突きつめると短歌ではなく行分けの詩へ行きつくことになるだろう。
それなら私は口語の歌を全否定するのかというとけしてそんなことはない。私は結構口語の歌にも心惹かれ、たくさんの歌集を読んでいる。そして優れた口語の歌集を読み終えた時に感じるのは、「なにかが心にじかに入って来た」という感覚である。時として、そのことが重荷になる場合があるが、文語とはちがう魅力があることも確かなことだ。
私は、文語でしか歌を詠まないと書いたがいくつかは口語でも書いている。口語でしか書けない歌というものもあるのだと気づく。大概それは先ほど書いたように心をじかに読者に届けたいときだ。
かなかなのこゑが林にひびいてゐるカンパネルラを探しに行かうか
カンパネルラは私の中で死者である。ヒグラシの啼く声を聴いていたらこんな歌がでてきた。これは文語にはできないと自分でも思う。
ところで一言で口語と言っても話し言葉と文章の言葉では、いささか異なる。永井裕さんは、話し言葉にこだわり、文章の口語にならないように留意しつつ歌を詠むと言っていた。
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな
(『日本の中でたのしく暮らす』永井裕 )
東郷雄二さんがブログで次のようにコメントしている。「あるシンボジウムで永井は自分が完全口語を用いて歌を作る理由を明快に説明したという。曰く、自分は口語・文語・外来語といった様々な言語をツールとして自由に選び取るという言語観を否定する。自分にとって言語とは自己の存在を規定している身体の延長であり、口語は『自分の生まれた国』であるという」
ここに完全口語という言葉があるが、口語は会話体と文章体とに分けてみていく必要がある。

音便の使用
最近自分の歌集を編んでいるのだが、文語でもかなり口語っぽい短歌がある。口語っぽさは結局音便を多用するところから来ている。たとえば音便をつかうと、「青き光」は「青い光」となる。口語にしたわけではないのだ。青き光、とするより、青い光とするほうが音の流れがスムーズで美しいと思えば、音便を採用する。その方が柔らかくて優しい感じになる場合が多いし、文語の品格がそれで失われるわけではない。以前はかなり厳格に音便を避けていたが、音便の良さをこのごろは認識するようになった。手近な所にある短歌誌からアトランダムに曳いてみよう。
君が知る高校はただひとつだけこんな高校と呼んで去りたり
(角川短歌八月号 大松達知)
「こんな高校」は鍵かっこが省略されているが口語会話体である。「呼んで」は「呼びて」の撥音便である。口語のテイストをもつ文語短歌である。
とは言えど走って走って走りぬく若さ眩しと思うときあり (前掲書 三枝昂之)
文語短歌だが、「走って」は「走りて」の促音便で、この用法によってやはり口語のテイストを持っている。
また文語と口語が一首の中で混在するケースも最近は頻繁にみかける。それも自然な流れとして歌人たちは受け入れているように思う。口語会話体を大胆に駆使していることで一世を風靡した俵万智の歌を見よう。たとえば(『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日)のような短歌である。会話の入らない歌に次のような歌がある。
シャンプーの香をほのぼのとたてながら微分積分子らは解きおり
はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり
『サラダ記念日』俵万智
なんとなく口語的な雰囲気をもってはいるが、結句にはしっかり文語の形が保たれている。口語短歌と呼ばれる歌歌が歌壇に生まれるきっかけになったとも言える『サラダ記念日』だが、実際は口語短歌とは言えないものがある。会話体が多用されているためにそういう印象をあたえ、その結果口語短歌の流行現象を生んだのだ。
ともあれ「完全口語」というものに拘泥する永井さんのような作者の登場は、歌壇に大きなインパクトを与えたと言えるように思う。

うたう言葉とは
さて、冒頭に書いた論文の、島田幸典さんの〈うたう言葉〉によると、文語とか口語という二者択一ではない捉え方が存在する。〈うたう言葉〉は文語にも口語にも還元されず、ひとつの領域として存在するという。彼は土屋文明や佐藤佐太郎の考察の後を辿り、このような結論に到達した。
「子規以来短歌の言葉の多様化が求められてきたが、アララギの歌人について言えば、これは口語化へ向かうというより、言葉の多様性のなかで文語を用いた歌が存続することを可能にしてきた。万葉に範を求めた根岸派以来の『伝統』の必然的帰結とも言えるが、あえて日常の口語と異なる言葉を用いる以上、そもそも歌において言葉はいかなる基準によって選択されるべきかという問いを招かざるを得ず、歌人はそれぞれ独自の観点から回答を試みてきた。それは伝統墨守というよりも、むしろ今の私の感動を生き生きと表現する言葉を貪欲に求めるという意志に導かれていた。そうした〈うたう言葉〉の模索と成果の蓄積が、近代以降もなお文語が生き延びることを助けてきたのである」
短歌を書くことは確かに「生き生きと感動を表現する行為」だ。口語とか文語という枠に囚われることなく自分にあったスタイルを発見し駆使して、作品を書き続けることが大切なのだろう。

明治以来の先達の論争や、昭和初期の口語自由律短歌運動についても敷衍すべきところだと思うが、それについてはすでに多く書かれているので、とりあえず私の最近の実感をもとに書いてみた。

2018・9