紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

恋の歌「雅歌」はなぜ聖書に入っているのか
最近私は旧約聖書のなかの「雅歌」(BC4世紀からBC3世紀頃に書かれたという)を読み、感銘を受けたのでそのことについてまず書いてみようと思う。雅歌は、若い男女の愛の物語が比喩を駆使して美しく歌いあげられている。古代のユダヤの文化にこのような比喩の用法があったことには驚かざるを得ない。愛するものを様々なものに例えてまことにこまやかに表現しているのである。

葡萄酒にもましてあなたの愛は快く
あなたの香油、流れるその香油のように
あなたの名はかぐわしい (雅歌1の2~3)

おとめたちのなかにいる私の恋人は
茨の中に咲きいでたゆりの花 (同2の2)

若者たちの中にいる私の恋しい人は
森の中にたつりんごの木 (同2の3)

数行ごとにこのような比喩が頻出する。聖書百週間という聖書の講座でシスターが教えてくれたのは、次のようにことである。
雅歌は、①神と民との関係を人間の愛の形として比喩的に表現している。(契約関係の愛)
②単純に、これは恋人同士の愛の物語であり、男女の間の愛の関係の尊さ、美
しさ、かけがえのなさ、永遠性と愛と自由の関係を表わす。
③キリストと教会共同体との愛の関係(教会はキリストの花嫁)
③はキリストが核になるので新約以降の解釈となる。
以上、どの解釈も可能である。雅歌には神という言葉も信仰思想も現れてはこない。ではなぜ雅歌は旧約聖書に収められているのか。それは、ユダヤの民の艱難辛苦のさなかにあった時期の預言者たちが、①のような形で神と民との関係を捉えていたからであると言う。マルセル・ルドールズの「聖書百週間のテキストⅡ」によると、今もってユダヤ教では雅歌の全文を過ぎ越し祭の最後の日に司祭が朗読するという。

預言者たちの神信仰の形
預言者たちは、ユダヤの民がエジプトでの奴隷生活を脱し、シナイ半島の荒地を四十年の間さまよったその期間を「神と民との蜜月」と捉えていた。その間のことは旧約聖書の出エジプト記、民数記、レビ記などに詳細に描かれている。そしてユダヤの長い歴史の中で絶えず民はこの時期の事を思い返し、心をあらたにして襲い来る困難を耐え抜こうとした。アッシリアやバビロニアなどの攻撃と収奪、支配の中で預言者は民を励まし、力づける時にこのシナイ半島でのことを思い起こさせ、神との関わりの形を様々に表現している。以下、いくつかその例をみてゆこう。

ホセア 預言者ホセアは王ヒゼキアの時代、北イスラエルの人。
それゆえ、見よ、私は彼女をいざない、荒れ野に導いてその心に語る(ホセア二章十六節)
私はお前と永遠に契りを結ぶ。正義と公正をもって、いつくしみとあわれみをもって契りを結ぶ。(同二章二十一節)
わたしは真実をもってお前と契りを結ぶ。そしてお前は主を知るであろう。(同二章二十二節)

エレミヤ 捕囚の時代の預言者(BC六二七年から五八七年にかけて活躍した)
わたしは思い出す。お前の若い時のまこと。花嫁の時の愛。種のまかれない土地、荒れ野で私に従ったことを。(エレミヤ 二章二節)
おとめがその飾りものを、花嫁がその帯を忘れるだろうか。だがわたしの民はわたしを忘れその日々は数えきれないほどになっている。(同二章三十二節)
私はお前を永遠の愛をもって愛してきた。それゆえ、わたしはお前に慈しみを示し続ける。おとめイスラエルよ 再びわたしはお前を建て、お前は建てられる。再びお前はタンバリンをたずさえ、喜び躍る者たちの輪に入る。(同三十一章三節)

エゼキエル 同じく捕囚の時代の預言者(BC五九三年から五七一年まで活躍した)
誓いをたててお前と契約を結んだ。こうしてお前はわたしのものになった。(エゼキエル 十六章八節)

第二イザヤ 捕囚先から帰還したころの頃の預言者
恐れてはならない。私はお前をお前の名をもって呼んだ。お前はわたしのもの。(イザヤ四三章一節)
見よ、わたしはわたしの掌にお前を刻んだ。(同四十九章)
まことにお前の夫はお前を造られた方。その名は万軍の主。(同五十一章八節)
若いときの妻をみはなせようかとあなたの神はいう。(同五十四章六節)
第三イザヤ (捕囚先から帰還し第二神殿を建てた頃の預言者)
まことに若者がおとめの夫となるようにお前の子らがお前の夫となり花婿が花嫁を喜びとするようにお前の神はお前を喜びとされる。(同六十二章五節)

預言者たちがこのような表現を好んで用いているのは前述したとおり、出エジプトの時代の神と民との関係を理想のものとし、ハネムーン時代と位置付けているためである。
雅歌がこれらの預言者たちの神信仰のかたちを表現しているという論拠は以上の引用箇所などにある。

新訳の聖書の話
最近三十年ぶりの聖書が全面改訳され、共同訳聖書という名前で日本聖書協会から出版された。先日漸く入手することができた。雅歌でこれまでの訳では次のように訳されている箇所に興味深い変更があったので敷衍しておこう。
わたしは黒いけれども愛らしい(雅歌1の5)新共同訳
わたしは黒いけれども美しい (フランシスコ会訳)
変更された訳は
わたしは黒くて愛らしい(同。共同訳)
新たに翻訳作業に関わった方の講演によれば原文には「けれども」に当たる語はないとのことだ。翻訳に於いて「けれども」という語を挿入したことは肌の黒さへの差別感や白人優位の社会の偏見が微妙に影を落としていたと言えるだろう。

「知る」の意味について
閑話休題。
さて、私は聖書を読み始めてほどなく「永遠の命とは唯一のまことの神を知ることである」というヨハネによる福音書の言葉(ヨハネによる福音書十七章三節)に強い関心を抱いた。前回のエッセイ「ヨブ記を読む」の末尾に短く書き留めいておいたことだが、それについて今回はすこし詳しく書いてみたいと思う。というのは永遠の命を得るということが新約時代以降のキリスト教信仰のひとつのかなめであると思えたからだ。分かるようでわからないのがこの「永遠の命」という言葉である。この永遠が物理的な時間の無限の延長をさすものではないことは当然として、ではそれはいったい何を意味するのか。その答えが上記の聖句だろう。つまり「神を知ること」である!
そうなると、聖書の中では「知る」という言葉がどんなふうに使われているのかを調べてみる必要があるように思う。
私は聖書の中で知るという言葉に出会うたびに付箋をつけるようにしていった。しかしある時点でそれをやめてしまった。なぜならばあまりにも沢山あったし、聖書の研究をしたいわけでもなかったからだ。私はごく単純にこの言葉を精査してみたかっただけなのだ。
それでも、驚くべきことを私が発見したのは偶然とも言えないことだと思う。ここまで来て、私がなぜこの小文を雅歌の紹介から始めたのか、多分お気づきだろう。
私がつけた付箋の箇所をいくつか例示的にあげてみたい。

人はその妻エバを知った。彼女は身籠ってカインを産み、 (創世記四章一節)
人(アダム)はエバと共に楽園に住んでいたのだから、すでにエバの事を知っていたはずだ。そして、「知った」結果としてカインを産んだのだから、ここで用いられている「知る」は性的な関係を意味していることが明らかだ。

彼らがくつろいでいると、何と町のならず者が家を取り囲み、戸を叩いて、「お前の家に来た男を外に出せ。われわれはあの男を知りたい」と、家の主人である老人に言った。 (士師記十九章二十三節)
ある旅人が町で親切な老人から一泊の宿を提供されたときのことを語るくだりである。ならず者たちから老人は旅人をかばい、自分の娘と旅人の側妻を提供し、好きなように凌辱してかまわぬから「そんな愚かなことはしないでくれ」と言って、旅人を見逃してやってほしいと頼む。その結果ならず者たちは側妻を凌辱し殺してしまう。(娘と側妻を提供すると言うのも現代では考えられない話だが、ここでは置いておく。)旅人を「知りたい」というならず者たちに対して老人は次の様な言葉を返している。
「兄弟たちよ、どうか悪いことをしないでください。この人が私の家に入った後で、そのような恥ずべきことをしないでください」この文脈の中では「知りたい」の意味が男色を意味していることは明かだ。

エレミヤ書の中では次のような言葉がある。
知恵あるものはその知恵を誇るな。力あるものはその力を誇るな。富める者はその富を誇るな。誇る者はむしろこのことを誇れ。私を理解し、私を知ることを。(エレミヤ九章二十三節)
この「知る」は「理解」と同レベルの事ともとれる。しかしこれまで見てきたようにヘブライの言葉特有の、もっと強い意味合いも汲み取れる。

新約聖書の中でも「知る」という言葉が出てくる。
マリアが男の子を産むまで、ヨセフは彼女を知ることはなかった。(マタイ一章二十五節)
マリアがイエスを出産する前に、もともと二人はいいなずけで、しかも住民登録のために旅をしているので普通の意味では知っていたわけだ。だからこの個所の「知る」は性的な関係を意味していると言える。
この箇所について、 ギリシャ語の原典では現代語訳の方では身もふたもなく「結合」を表わす語が当てられているが、古代ギリシャ語の原典ではグノを語幹とする、「知る」が用いられていた。現代ギリシャ語の聖書は意味を明確にして訳したことが分かる。だが「知る」という語のヘブライ民族特有の思想性は失われてしまう結果になったと言えるだろう。
知るという言葉はことほどさように聖書の中ではエロス的な意味合いをもっている。エロスは「生」と本質的にはきわめて近い。死を対局に置く時、そのことが最も鮮明になるように思う。「永遠の命」は神と人との全存在的な結合を指すのではないだろうか。
私はここで神秘主義を持ち出そうとは思わないのだが、神秘主義は神と人との一瞬の可感的な出会いを軸に展開するものだろうと思う。これは余談だが、神秘主義的な大聖テレジアの「脱魂」の彫刻は、きわめてエロティックな表情を浮かべていることを思い出す。
ある人は神秘体験は精神病理学的にはヒステリーの発作だという。本を読んでいてたまたまその記述を見出した時、私は、そのように規定するのは簡単だが、だからと言って神秘体験がそれですべて説明しうるというのも浅はかではないかとの感じをもったのだった。
先週のG神父の説教の中で興味深い一節があった。神父は砂漠が好きで世界のあちこちの砂漠に滞在した。ある夜、砂漠特有の満天の星の光の中に座っていた時、天と自分の間を何かが刺し貫いた。神父は身動きもできなくなり、朝までそこに座っていたという。その後もそういう体験をしたいと思って砂漠を訪れたが二度と再びそのような出来事はなかったのだそうだ。神父はその夜、神存在を「知った」のかもしれないと思う。
2019・4