紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

前回エッセイの会に「聖書のキーワード「知る」のエロス的な展開」として文章を出した。エッセイの会での感想やその後の反響などがあったため、今回は引き続きこの言葉に関してもうすこし書き続けてみようと思う。
右脳と左脳
脳科学者の友達は次のようなコメントを下さった。
前半の「旧約聖書では、神と民との関係を人間の愛の形として比喩的に表現している」と「ユダヤの民の艱難辛苦のさなかにあった時期の預言者たちが、人間の愛の形で神と民との関係を捉えていたからである」との二つの論旨は、市原さんのあらたな発見ですね。私は考えたこともなかった。このことを知った上で旧約聖書を読むと違う世界観が見えるような気がします。…後半の「知る」の意味について―知ると言う言葉はことほどさように聖書の中ではエロス的な意味合いをもっている―あるいは、―この個所について、ギリシャ語の原典では現代語訳の方では身もふたもなく「結合」をあらわす語があてられているが、…古代ギリシャ語の原典では「知る」が用いられている―この文章は驚きです。「神を知る」は左脳による知識として分かるということではなく右脳による実感するということで分かることだと言っているのですから。神秘体験とは何かがついに分かった。納得です。
さすがに脳科学者らしい。左脳と右脳にまでは私も思いが及ばなかったのでこのコメントは大変面白く思った。
「知る」についてのヘブライ語の訳語
エッセイの会では、個人訳聖書(尾山令二訳)の中の翻訳例をコピーしてきて下さった人がありその訳では「知る」という原語を「夫婦生活」とか「性生活」という風に訳していた。
さて今回の文章をネットに投稿しておいたところ、翻訳に関してありがたい反響があった。また、偶然、家にあった井上洋治神父の「日本とイエスの顔」という本を手にとったところ、その冒頭の部分には「知る」ことについての哲学的な考察が記されていた。
まずネットに応えてくださったのは、小田原在住のSさんで、高校時代の友人である。調べて下さったのは、次のようなことに関してである。
聖書には、様々な箇所で「知る」(ヤーダー)という言葉が使われており、用いられる場面によって元の意味も微妙に、あるいは大きく変わってくるということだった。添付されていた一覧表によれば、ヤーダーには七つの動詞の形があった。ここでは詳述は避けるが、その一つカル形だけでも十通りの意味がある。気付く、発見する、様子を見る、経験する、知る、気を使う、知人、(病に)馴れた、性的関係、ホモセクシュアリティ、(神学的に)認知する、心得、理解する等である。その他の動詞の形でも、教える、指示する、示す、明かす、などがあげられている。この一覧表に引用された聖書の箇所だけでも六十一箇所にもなる。これについて詳述することは今のテーマから離れてしまうので、訳語が多いことを紹介するにとどめておこう。
井上洋治神父の「知る」について
さて、この問題について色々と考えながら本当にたまたま手に取った一冊の本が、いきなり「知る」についての考察だったので、こんなこともあるのだなあと感じ入った次第だ。
せっかくそんな嬉しい偶然が降りかかってきたのだから、このことに関してはもう少し考えをつきつめるべきだろうと思ったのだった。
先ず、何故私がこの本を手に取ったのかというと、「井上洋治」という神父の名前に見覚えがあったからだ。遠藤周作の「学生」という小説に登場する一人の、モデルになった。遠藤周作と井上洋治は共に若き日に同じ船の暗い船底にてヨーロッパへ渡ったのだ。小説なのであくまでも井上洋治はモデルとして登場する。彼がはるばるフランスのカルメル会修道院へ入る為に船に乗った理由とは、聖女テレジアの自伝に感銘をうけたからだというのだった。フランスへ渡って学生らは散りぢりに別れてゆくのだが、ある時思い立って作者が修道院を訪問する。非常に厳しい戒律のある修道院で、五分しか面会は許されない。 やつれはてた友は修道院の畑仕事をしているところだった。死ぬほどつらいのは夜、ノミが出て眠ることが全くできず、いつも立ったままドアに凭れて仮眠して朝をむかえるのだという。そういう辛いことも修業の内で、殺虫剤などは許されていなかったらしい。彼は小説の中ではなんと結核にかかって死んでしまうことになっていた。……ともあれ、或る晩私は夫の遺した本棚を眺めながら、そんな井上洋治神父をモデルにしたらしき話を思い出し、本を手にしたのだった。
この『日本とイエスの顔』を読むと彼が日本の伝統文化、仏教や荘子など中国の思想にも大変詳しいことがわかる。ここでは特に「知る」ことについての論述について触れたいと思う。井上洋治がこの本を書いたのは昭和五十一年である。その頃には右脳の働きと左脳の働きの違いは分かっていただろうか。少なくとも、医学の専門ではない一般人は知らなかっただろう。井上洋治はその違いについて、全く哲学的なアプローチで明快な結論に到達したのだった。そこには大変分かり易く次のように書かれていた。
ふつう私たちがものを知るのには、二通りの方法があります。概念、言葉によって知る場合と、体験によって知る場合です。たとえば、スキーとはどういうものかを知るために、書物を開いて、一所懸命にスキーに関する知識を集めるという場合と、実際にスキー場に行って雪の上を滑ってみるという場合です。スキーに関してたくさんの知識を持っている人は、スキーについてよく知っているといえましょう。しかし本当の意味で、スキーをよく知っている人は実際にスキーを体験した人であるといえます。たしかに知識は役に立つものです。体験の手助けにもなるでしょう。しかし概念や言葉だけでは、そのものについて知ることはできても、ほんとうの意味で、ものを知るということはできないと思います。
井上洋治は、西洋二千年の歴史は、ギリシャ哲学から始まって、常に人間とは何であるか、生命とは何であるか、世界とは何であるかと、問うてきた、それは問われているものを自らから対象化し、理性と概念をもって把握しようと努力してきたことであると書いている。そして、このような、ものについて知るというとらえ方は、主体に対して、主体の外にある場合には大変有効な便利な考え方であるが、しかしひとたびそのものが、主体―客体という両方をつつみこんでしまうようなもので、決して主体の外に対象として立つことができないような場合でも無理矢理に理性を使ってそのものを対象化しようと努めるために、そのものを「言わば漫画化」してしまうような過ちを犯す危険があると言う。井上洋治はここで神を念頭に置いている。神を自分の外にある、客体、対象となりうる存在と捉えると、どうしても超越としての神に重点がおかれてしまい、その結果「万物に内在し万物を包みこむ神という点がおろそかにされいたことは否定できないように思えます」
と書いている。ここで井上は日本の伝来の思考方法に立ち返って次のように書いている。
「古事記以来の日本文化の底をながれてきたもののとらえ方は、あきらかに<を知る>ということに重点がおかれていたように思えます。それは日本人がもっとも関心を持ち、またたいせつにしてきたことが、主体に対立する客体としての世界ではなく、主体も客体も共に包みこんでしまう根源的な生命力ともいうべき何かであったからだと考えられます。」このあと井上はもののあわれについて源氏物語についての本居宣長の言説や松尾芭蕉の俳句などを引用してその内容を詳述している。
長々と井上洋治の文章を引用してしまったが、「について知る」と「を知る」とのあいだには概念によって知識を得る(左脳の働き)と、体験によって知る(右脳の働き)ことの相違を明示することによって、前者の「知る」はきわめて一面的なことにすぎないことを教えてくれている。私達が神を「知る」ということも、本質的には体験として知ることでなければ不十分であることだ。
神秘神学について
さて、私は前回神秘神学については詳しく書かなかった。怠慢というよりは書く程の知識がないからである。だが、一時期ウマンス神父の翻訳によるオランダの神秘家ルースブルックの本。『ルースブルックの神秘の書』(南窓社)を読んだことがあった。難解で良くは分からなかったが、そこには「霊的婚姻」というタイトルが出て来た。そして、「一致」という言葉がしきりに書かれていたことを思い出した。一致とは、実に端的にして明確な言葉だと思う。その用語解説によると、一致は次のような使われ方をしている。
ルースブルックはこの用語を多くの異なる意味で用いる。たとえば神性の本質的一致、神の豊穣性のもとである本性の一致、他の二ペルソナの「初めのない初め」としての聖父の一致、三位一体のうちの愛の絆である聖霊の一致、人の超自然的な愛における神との一致、さらに人の霊における一致、すなわちその上位の力の一致など
この中の「人の超自然的な愛における神との一致」はエロス的なものを含有しているように思う。ルースブルックの「霊的婚姻」の解説には次のような箇所があった。
さて、神秘的な体験のこの段階にある人たちは実際に何を体験しているのだろうか。またこの体験はどのようにして起こるのだろうか。……かれらは絶えず神に接触されている自分の「本質」と、絶え間なく神から生じさせられるものとしての自分の根底を見出し、またこの神的働きかけのうちに神を知る。彼らは神に接触された自分の中核を「神と人間との間の最後の(また最も内的な)媒介」として感ずる。こうして彼らは神を知る。」(前掲書、解説p・モマーズ『霊的婚姻について』より)
私見だが、おそらく接触という言葉が神秘神学の要ではないだろうか。つまり、これこそが体験による「を知る」のことなのだろう。深遠にして難解な神秘神学であるが、それは概念として知ろうと試みるが故の難解さだろう。神から絶え間なく接触されたら、たちまち骨の髄まで「知る」ことになるのではないだろうか。
昨日私は教会で私はまたG神父に会った。九〇歳近い神父はその日も元気にミサをあげておられた。終わった後、会堂の玄関口にてゴビの沙漠の体験について改めて聞くことができた。「一人でも自分の説教に関心を持ってくれる人がいて嬉しい」と、話してくださった。沙漠の星空のもとに座っていたとき、いつのまにか自分の全存在が大宇宙の中へと溶解していく。そしてあのことが、何かが自分の頭の先から足の先までを刺し貫くという出来事が、おきたのだ、と。また、サハラ沙漠ではそのような経験は得られなかったが、多分、近くにラクダの世話をする者たちがいて、騒々しかったからだろうか、と。

きわめて雑ぱくなこのエッセイが、キリスト教を信じる人にも全くの無神論者にも読まれるに堪えるだろうかと少々不安だ。が、今回はとりもなおさず擱筆することにしたい。

2019・5