紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

最近私の大好きな「大草原の小さな家」を再放送しているので時々見ている。このドラマは一九七四年から一九八二年までの八年間に亘って放映された。メインキャストは同じ俳優が演じている。主人公のローラ役、メリッサ・ギルバートも少女から娘へ、そして大人になるまで演じており、父親のチャールズや母親のキャロラインも、八年間ずっと同じ役者が演じている。これは滅多に得がたいことではないか。
子供達の愛らしさや、開拓時代のアメリカの人々の暮らしも面白い。(先住民の事や黒人問題は触れられてはいるがテーマや問題としては扱われない)。私が最近注目したのは父親のチャールズの逞しさと頼もしさである。なにしろ現金はもっていない。でも新しい試みとして農業を始める。小麦を撒き、いよいよ明日収穫という時に雹が降って畑が全滅してしまう。チャールズはそんな出来事に落胆する暇もなく、出稼ぎに出てゆく。靴は底がはがれてパクパクしているような有様だ。でも身体だけは丈夫で、元気いっぱい出かけてゆく。彼らは危険な石切り場で何か月か精一杯働き、お金を持って家へ向かう。慣れない仕事にも果敢に挑むチャールズ。仲間の一人は現場の爆破事故で亡くなった。悲しみと辛さに満ちた人生を、チャールズは愚痴も言わず乗り越えてゆくのだ。
この人を見ていると自分の父親を思い出さずにはいられない。私の父親もチャールズそっくりにいつも前向きに楽観的に逞しく事業を起こして働いていた。「仕事が好きなんだ」と口癖のように言っていた。中小企業の社長という立場上、取引先との交渉事や借金のことなど、いつも絶え間なく人々と関わっていた。客好きで、わが家の食卓にはいつもお客様が必ず一人か二人は同席していた。母も、母の亡き後に後妻に入った継母も、父の客好きを嫌がりもせずにむしろ楽しそうに受け入れていた。
最近私はある詩人と懇意になり、喫茶店で雑談していた。彼が現役時代は信用金庫に勤めていたことを知り、その店の名前をきいて、もしやと思って「武蔵野市に住んでいた渡辺利一っていう人をご存知ないですか」と訊いた。「ああ渡辺さん! 私はいつもお宅へ通っていましたよ。渡辺さんは店の総代でした!」とのことだった。総代と言うのは、店一番の取引先のことなのだそうだ。つまり私の実家に、その方は毎日のように来ておられたそうだ。私は何人かの信金の方を存じ上げていたがこの詩人のことは時期的に私の結婚の後などですれ違ったのか、記憶になかった。
お互いに、まったくびっくりしてしまった。父はその信用金庫に三〇〇件の顧客を紹介したそうだった。そのかわりというか、父の開発するマンションの購入者の借入金のためには、大いに頑張ってくれた信金さんだった。
私が小学校の頃のことだ。夏になると、暑い暑いと言いながら外回りから父が帰ってくると、私はいつもすぐに冷たいタオルとうちわを持って行った。ステテコだけになって畳に横たわる父の体をお絞りですっかり拭く。それは「拭きかた」と呼ばれていた。父はその日に何か所回ったかと自慢そうに話す。それが終わると「あおぎかた」と称してうちわで体を扇ぐ。父は良い気持そうにして、「こんどは揉みかた」と言う。私は父の足をせっせと揉む。父の足はいつも駆けずり回っているだけあって、堅く引き締まっていた。
私の手など何の役にも立たなかったことだろうけれども、いつも「揉みかた」をしていてふと見ると父はもうぐっすり眠り込んでいるのだった。その深い鼾をあとにしながら私は子供心に達成感を覚えた。父の汗のにおいが懐かしい。簾を通して入って来る風が父の上を通ってゆくのが何とも言えない満足感だった。チャールズが身を粉にして働いている姿はそんな日々の父に重なるのだ。
さて、最近私は「陸王」(池井戸潤)という小説を読んだ。ある足袋のメーカーが生き残りを賭けてランニングシューズを開発する話だった。ここにも父によく似た人が登場する。落ち目になった企業に銀行上層部は厳しく、借金を申し込んでもけんもほろろである。競合する大手のシューズメーカーはあの手この手で開発を阻止しようとする。もうあきらめようかと思うのだが、それでも主人公の社長を見込んで、技術者や地元の営業の銀行マンやシューフィッターなど様々な人々が手を差し伸べ、アイデアを持ち込み、支えてくれるのだ。私はこの話を読んだ時も、父を思い出していた。父は借金は財産のうちだと考えていた。若い頃から借金で事業を展開していった。そして着実な返済をすることによって、銀行の信用を得て行ったのだった。
こんなことも思い出す。父の晩年の頃、何かで家族がトラブルになり、口論していると、父が「そんなことでは楽しくなくなってしまうじゃないか」と言ったことだ。「楽しい」ということは父にとってとても大切なことだったのだろう。確かに父は囲碁を楽しみ、国内外の旅行を楽しんでいた。趣味が豊かにあった人だった。年を取って旅行もあまりしなくなった父は暇があると地図を開いては懐かしんでいた。地図を見ているだけで色々な風景や人々を思い出して嬉しく楽しくなるのだそうだった。
私は若い頃父の人生観に齟齬を感じて父から離れてしまっていた。「しずかは全然口をきいてくれない」と困っていた。挙句、私は恋人が出来て家を出奔までした。結婚してからはまた父のもとで働くようになり、父の自分史の編集もした。毎日すこしずつ父の話を録音し、テープ起こしをした。そのおかげで私は父の事をいくぶんか理解できるようになったと思う。今父が生きていたら、さぞかし面白く話をすることが出来るだろうに。

暑き日の父の帰宅のありありとをさなき吾に汗にほひにき

2019・8