紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

(1)
最近、私の脳裏に「アマゾン」がこびりついている。それで、アマゾンのことなどを書いてみたいと思う。ご覧になった方もあろうと思うがNHKの番組でアマゾンを取り上げていた。二回の連続でどちらも再放送だ。アマゾンに生きるイゾラドと呼ばれる、「現代文明と非接触の先住民」のことをテーマにしていて、その一回目は大人と子どもの十人ぐらいの家族をとりあげていた。彼らはほとんど裸で、政府の人からバナナを受け取る為にアマゾンの流域で落ちあう。そこへ撮影のクルーが参加したのだが、彼らは見たことのないクルーには非常な用心をし、とげとげしい感じがあり、何者なのかを確認したがった。彼らはかつて殺人を犯したが、その理由を訊くと、相手が先に殺したからだと答えた。そのような事件があったが故の警戒だったのかもしれない。番組によれば、彼らはバナナを取りにくることもなくなり、二度と彼らと接触することは出来なくなった。撮影のクルーを警戒してのことなのかどうかは、私には分らない。学者によれば、彼らが絶滅するまでには二年とかかるまい、と言う。なんとも辛すぎる言葉だった。二回目は二月二十一日の放映で「アウラー未知のイゾラド最後のひとり」というタイトルだった。私はてっきり同じ家族のその後のことを報道するのかと思ったが、こちらは前回の家族とは異なる二人の男たちを扱っていた。初めて放映されたのは二〇一八年。彼等の名前はアウラとアウレで、兄弟なのか友人なのか不明である。
(2)
一九八七年五月に彼らは保護された。映像では三十代ぐらいに見える。彼らには如何なる言語も通じなかった。いつも二人だけで語りあっていた。政府が保護したあと、あちこちの保護区を転々としたがどこでもうまく行かず、一度は殺人も犯した。今は十三か所目のアルトツリアス先住民保護区に暮らしている。そこには政府から派遣された言語学者のノルバウ・オリベイラさんがおり、三十年近く二人の言語調査を続けてきた。今もって言葉はあまり判明しておらず、それでもようやく八百の単語を収集したという。画面には片足の不自由なアウラさん(この名前も政府機関がつけた仮名である)が松葉杖をついて自分の小屋から保護区内の保健所へ休憩に訪れるところが映っていた。彼は出されたおやつなど食べながらひとしきり話をするが、分る者はいない。小屋ではビーズを使う飾り物などを作っている。二〇一一年、相棒のアウレさんはがんになってしまう。車で六時間かかって町の病院へ移送された。病室でもふたりはずっと一緒にいた。二〇一二年六月、アウレさんは衰弱して亡くなってしまった。アウラさんはじっとなきがらを見つめていた。そして帰ってくると言語学者ノルバウさんに、「アウレは死んだ」とのみ言い、その後は二度とそれについては語ろうとしなかった。長い間、彼が繰り返し言い続けてきた言葉をつなげてみると、それは文明側の人間と初めて接した折の出来事ではないかと推測された。ウィア(雨)ビトマ(夜)タクエ(矢)ビトゥ(血)ジェ(カヌー)オリベ(髭)トッポン(大きな音)タティン(火花)マヌ(死)、オッキン(死)モミイン(死)、そしてカライー・オティマノエ・ムクイン(二人で長い間歩いた) これらの繰り返される言葉をつなぎ合わせると、彼らの集落をある雨の夜、髭を生やした人たちがカヌーで来て矢を放ち、大きな音のする火花が放たれた。血が流れ、そして集落の人達は死んだ。遺された二人は長い長い間、歩いた。ということになるのだろうか。
「大きな音」、「火花」は銃か、それとも爆発物だったのか。放送によると、彼らの発見された辺りはマラニョン川という川の奥にあった。そのあたりまで道路ができ、開拓農民が入ってきた。開拓農民に取材したシーンでは、農家の夫婦が語る。「彼らはある日突然押し入って来た。ひどく怒っていて、ナタを振り回した」「顔を見るのもいやだわ」と主婦が言う。鬱蒼としたジャングルだったその辺りはすっかり切り開かれて牧場になっていた。
(3)
さて、ドキュメンタリーを見ただけであれば、私はこの原稿を書こうとは思わなかったかもしれない。だが、友人が四旬節の講話という、カトリック(カルメル会)の講話をメールで送ってくれたのをみて、偶然とは思えない気がし、書こうと思い立った。
この講話は九里彰神父によるもので、教皇フランシスコの「愛するアマゾン」というタイトルの「使徒的勧告」をとりあげている。このコロナ禍のパンデミック後の世界をどう生きるべきかを人々に語りかけているものだ。宗教者は、政治的、社会的な問題にも積極的に関わっていくべきであるという。その中で、アマゾンに生きる先住民のことを語る。「かっても今も、合法、非合法を問わず、伐採や採掘の拡大が続き、先住民、河辺に暮らす人々、移住者、アフリカ系の人々の天への嘆きと叫びに耳を傾けなくてはならない」と。とりわけ、「二十世紀の最後の数十年から、アマゾンは占拠すべき広大な空白地帯、開発すべき手つかずの資源、飼いならすべき広大な野性とされてきた。すべて先住民の権利を認めない。またはあたかも存在しないかのように。あるいはその居住地はその人々に属していないかのように、彼らを無視する見方にそれは結びついている。」そこには多くの先住民が住んでいた。にもかかわらず、現代の文明社会の人間は、そこに誰もいないかのように捉えるのだ。「その見方がアマゾンを傷つけ、土地とその境界、民族自決、事前合意という点で、先住民族の権利を尊重しない国内、国際企業には、それにふさわしい名前を与えなくてはならない、それは不正義と犯罪だ。」
そして一つの例を挙げる。「ゴム生産時代の先住民の苦しみについて。現金は渡されずただ商品のみ渡す。しかも高額で渡す。決して支払いを終えられない程の高い値段だ。金を払えたとしても、お前にはしこたま借金があると言われ、また労役に戻らねばならない。二十以上のエクアナ族の村が完全に破壊された。エクアナの女性たちはレイプされ乳房を切り取られ、妊婦は腹部を裂かれ、男性たちは舟を操ることができないように指や手首を切り取られ他にもさらにおぞましいサディスティックな光景があった。」
「アマゾンの歴史が明らかにしているのは多数者の貧困とその地の豊かな天然資源の良心の咎めを覚えない略奪という犠牲を強いて、少数者が金儲けをしたこと。その天然資源は数千年もの間そこで暮らしてきた民への、また数百年の間にやって来た移住者への神からの贈り物なのだ。」
いまこれらアマゾンの叫びを教皇フランシスコは聴きとって、赦しを願っている。これまで宣教者たちは必ずしも虐げられた人々の側に立ってはいなかった。教皇フランシスコはそれを恥じ入り、改めて平身低頭赦しを乞う。そしてアマゾンの全歴史に、おぞましい犯罪に許しを乞う。
(4)
このところ私達エッセイの仲間の間で読まれている「人新世の資本論」(斎藤幸平著・集英社新書二〇二〇年)によると、北半球に住む私たちは資本主義、企業の恩恵の中で暮らし、それが南半球にどういう被害をもたらしているかを気にとめずにいる。どうして安閑としていられるのかの理由の一つが、問題の外部化だというのだ。問題の現実は南半球に起き、私たちの視野に入らない。(必ずしも南半球だけではないので、特殊な用法として今グローバルサウスという言葉が使われる。)たとえば電気自動車を普及させるためにはどれ程のリチウムが必要か、それはチリにあり、採取のためには地下水が毎秒一七〇〇リットルも使われている。またコバルトも必要であり、それはコンゴにある。世界中の需要を賄うための大規模な採掘は水質汚染、農地汚染、景観破壊、そして奴隷労働や一日わずか一ドルでの児童労働が蔓延している。北半球の人々にはこれらの実態が「外部化」されているために眼にみえない。「電気自動車」さえ出来ればそれで環境に貢献できるとし、満足なのだ。
以上の「外部化」のほかに、私が一番感じるのは、問題解決を未来に先送りして、今はひとまず安泰という地点に私達が安住していることだ。原子力発電所の事故後の廃棄物は処理が困難で、事故後の廃棄物を入れたフレコンバックの山は増える一方である。また六ケ所村に建設中の核廃棄物の再生処理も見通しが立たない状態だ。解決が未来へ先送りされており、「現在」はひたすら廃棄物を出し続けているが、なにしろ迷惑を被るのは未来なので、政府の方針である「再稼働」の号令が全国に響き渡り、一部の住民は裁判を起こしている。

教皇フランシスコは現代社会の技術主義的、消費主義的な枠組み(パラダイム)を変えてゆくこと、消費主義的なライフスタイルから自由になる事を勧めている。経済ファーストではなく、人間ファーストの社会を目指そうと提案している。それこそがパンデミック後の世界が目指すべきことだ、と。

アマゾンの事例をながめ、グローバルサウスへ思いを馳せ、とりもなおさずまとめてみた次第である。息子に貸してあったので中途半端になっている「人新世の資本論」をもう一度じっくり読もうと思っている。
2021・3