紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社


 最初に断っておかなくてはならないが、この文章はクリスチャンである立場で書いている。無神論者や他宗教の方には違和感を覚える表現もあると思う。またクリスチャンであっても必ずしも私と同意してもらえるとは限らないが、それは読者にお任せしたい。 

一、死刑囚の歌集『深海魚』を読んで
私は日常生活にあってはどちらかというと寛容な方だと思う。というか、怒りが持続しないのだ。エネルギー不足がたたってか、生まれつき抜けているせいか、あるいは私が幸せな生活をしていて、誰かを赦さなくてはならないような羽目に陥らないせいかもしれない。
 最近友人が死刑囚の書き遺した歌集『深海魚』を送ってくれた。それを読み終えた時、私は何とも言えなくもやもやした。私のような呑気な生活をしている者には言及することさえ困難さを覚える世界だ。そして、平凡な日常とは峻別される罪の恐ろしさに、おののきを覚えた。私は自分の中に極めて不寛容にならざるをえない事例に突き当たったのだった。私は無論死刑には反対だが、その人をどうしても赦せないのだ。『深海魚』の作者響野湾子(筆名・男性)は判決後十八年目に処刑された。書き遺した歌は六三二一首。歌集に収められたのは九一二首。犯した罪は、五十四歳の女性を強盗殺人。四十二歳の女性を強姦強盗殺人。六十歳の女性を強姦強盗。十八年間、彼は獄中にあって、後悔しつづけた。殺した人の顔を繰り返し思い、刑の判決文をずっと読み返し続けた。狭い獄舎の窓から聞こえる踏切の音に世間を感じた。床に涙を落とし、壁に頭を打ち付けて狂わんばかり恥じ、斬鬼の念に苛まれた。自らの食欲さえおぞましく感じた。そのように極限的に十八年間苦しんだからといって、その人は赦されはすまい。
 私のもやもやは、赦しということがなかなか自分には出来ないということからきている。
それどころか、考えれば考えるほど、「赦す」などという行いは、私の心の容量を凌駕しており、不可能だと思うに至った。さらに敷衍すれば、このような罪を赦すことは人間には無理だ。人間には罪を赦すことが出来るほどの力量はないと思うからだ。

二、許すことによって赦される
 毎日そのように思い、考え続けていたある日、マザーテレサの生涯を映画(テレビ)で見る機会があった。以前一度映画館で観たことがあったのだが。今回はその映画のなかで一つの祈りの言葉が印象深かった。「許すことによって赦され…」という言葉だった。聖フランシスコの有名な「平和の祈り」の一節である。この祈りの後半部分は次のとおりである。

 ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
  理解されるよりも理解する者に、
  愛されるよりも愛する者に。
  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
  許すことによって赦され、
  自分のからだをささげて死ぬことによって
  とこしえの命を得ることができるからです。

 毎日赦しについて思い続けていたので、この祈りの言葉が心に飛び込んできた。「許すことによって赦され」―そうだった、私も赦されなくてはならないことを思い知った。教会のミサの祈りの通り、「思い、言葉、行い、おこたりによって度々罪をおかして」いるからだ。

三、ルワンダの虐殺事件とイマキュレー
 私はその後も赦しについて考えていた。私もまた赦されるべき者の一人であることは今や確かであり、そのためには許さなくてはならないことも分かったが、それでもなお、強盗強姦殺人の犯人を赦すことは不可能であると私は思い続けていた。そんなある日、私はこれ以上の赦しはないというすごい赦しを実行した人の伝記を思い出したのである。お読みになった方もあろうかと思うが、かいつまんで彼女のことを書いてみよう。その女性の名はイマキュレー・イリバギザ。一九九四年にルワンダで起きた虐殺事件の当事者である。一九九四年と言えば、歴史の流れの中ではつい最近のことだ。私は平和なこの国にあって働きながら子育てをしていた。環境問題などにかなり熱心に活動していたが、遠いアフリカの出来事には関心を持たず、リアルタイムでどんな恐ろしいことが進行していたかも全く知らずに過ごしていた。アフリカの問題は北半球の貪欲な植民地主義に端を欲していることが多い。ルワンダにはフツ族とツチ族と少数のツワ族がいる。穏やかに仲良く暮らしていた彼らを最初はドイツが、ついでベルギーが統治するようになったことが、悲劇の発端だった。ベルギー政府が国政に重用したのはツチ族だけだったからだ。その結果、多数派のフツ族の中に不満と嫉妬と激しい憎しみが生まれた。ベルギーが去ったあとフツ族はツチ族を皆殺しにする行動に出た。わずか百日間で、百万人のツチ族が惨殺された。
 イマキュレーは良心的なフツの牧師に匿まわれた。七人(のちに八人)で狭い牧師館のトイレに潜み、九十一日間を物音も立てず、ひしめき合って横たわることさえできず、沈黙のうちに過ごした。食物は牧師が差し入れる僅かな残飯だった。父、母、次兄と弟は皆殺され、唯一長兄だけが留学中で助かった。著書『生かされて』(PHP文庫二〇〇九年)はその全記録だ。
 文体はリジュの聖テレジアの『小さき花』のように細やかで愛情に溢れている。何よりも、事件が起こるまでの家族の描写が実に素晴らしい。「私は天国に生れました」という書き出しで幼年期からの生活が語られている。気候は温暖で風景は緑豊かに美しく、人々は和やかでお互いに愛しあっていたことがよく分る。特に次兄のダマシーンは輝くような笑顔でいつもイマキュレーを可愛がっていた。三歳下の弟は目の大きな可愛い子でどこへ行くにも子犬のように彼女に付きまとって離れなかったが、いつのまにかハンサムな背の高い若者に成長した。彼は事件の時二十歳だった。イマキュレーと一緒に牧師館に匿まって欲しいと懇願したが、女性だけしか匿まうことは無理だと言われ殺人者の群がる街で殺されてしまった。ダマシーンはフツの友人が庭に穴を掘って枯葉で覆い、しばらくの間匿まわれていたのだが、やがて見つけ出されてしまった。優秀な学生で修士号を取っていたため、フツの若者にねたまれ、「頭の中がどんなふうになっているのか見てやろう」とあざけられながら頭蓋を割られて殺されたのだ。大ナタを振りかざす人々にむかって、彼は微笑んで言った。
「僕は君たちが気の毒だ。まるで子どもの遊びのように人を殺している。‥‥僕は君たちの為に祈る。君たちが、自分たちのしていることの中に悪魔が宿っていることに気づき、神様に許しを乞うように。」家族が殺されてしまったことを知って最後にイマキュレーに宛てて書いた彼の手紙は、零れる涙にインクが滲んでいた。「イマキュレー、どうか強く生きて欲しい」と書かれていた。

四、イマキュレーの祈り
 イマキュレーは牧師館のトイレにいる間、祈り続けていた。この本を読んだ時一番印象に残ったのは、「祈り」だった。トイレのすぐ外側の壁を殺人者の大ナタがこする音がし、「イマキュレーはどこだ」と叫ぶ声が響き渡る。何度も何度も殺人者は牧師館へやってきて、彼女らを探した。殺人者の一人は父親の友人だったがすべての財産を奪うために、彼女を名指しで探していたのである。
 イマキュレーは全身全霊で祈り続けていた。やがてトイレのドアの前に洋服ダンスを置くようにと言う啓示を受け、渋る牧師にそのようにしてもらうことができた。毎日十二時間、十三時間も祈り続けた。するとある時はイエスの夢を見る。また、ある時はトイレのドアに巨大な輝く白い光の十字架が現れた。極限で観た幻覚だったのかもしれない。危機一髪のところで殺人者たちはいつも去っていき、牧師館のベッドもソファも天井裏もすべて探されて荒されたのだがトイレのドアには気づかれずに済んだ。トイレから出て最初に鏡を見た時は、痩せすぎて顔が骸骨のようだったという。
 彼女が憎しみに炎えていたことは想像に難くない。実際、彼女は怒りと憎しみで気も狂わんばかりだった。だが彼女がしたことは、赦せるようになるよう、神に祈る事であった。
「どうぞ神様、私の心を開いて下さい。そしてどうしたら私が彼等を赦すことが出来るのかお導き下さい。私は、私の憎しみを鎮められるほど強くはありません。私の憎しみは燃え上がって、私を押しつぶしてしまいそうです」
 食事もせず、水も飲ます、彼女は数日を祈り続けた。そんなある時、牧師館の外で悲鳴が聞こえ、続いて赤ん坊の泣き声が聞こえる。殺人者たちが母親を殺したのだ。赤ん坊は一晩中泣いていたが、やがて朝にはその声も途絶える。彼女は、「どうして罪のない子にこんなことが出来る人達を赦すことが出来るのでしょう」と思う。その時、彼女はまるで同じ部屋にいるかのように明確に一つの声を聞いたという。「あなたたちも、みな私の子どもたちです。あの赤ん坊は今、私と一緒にいます。」―そして、彼女は突然、飲まず食わずで祈っていたことの答えが与えられたことを知った。―殺人者たちは子どもと同じなのだ、と。
「そうなのです、彼らは、彼らのやったことで厳しく罰せられなければならない野蛮な生き物です。それでも彼らは子どもたちなのです。彼らは、残酷で、残虐で、危険です。子どもたちも時々そうなることがあります。でも、それにもかかわらず、彼らは子どもたちなのです。彼らは、自分たちがどんなに恐ろしい苦痛を与えているか分かっていないのです。何も考えずに人々を苦しめ、兄弟、姉妹を迫害しているのです。彼らは、神を傷つけているのです。そして、自らをどんなに傷つけているかわかっていないのです。彼らの心は、悪魔に占領されているのです。それは、この国じゅうに広がっています。彼らの魂は悪魔ではないのです。恐ろしいことをやっていても、彼らは神の子どもたちなのです。
 そして、わたしは、子どもをなら、赦すことができるでしょう。
 簡単ではありません。特にその子どもが私を殺そうとしているのですから。神様の目には殺人者たちでさえ、彼の家族、愛と赦しを受ける対象なのです。
 私は、神の子どもを愛する気がないのならば、神の私への愛も期待することは出来ないと分かったのです。
 その時です、私は、殺人者達のためにはじめて祈りました。彼らの罪をお赦しくださいと。……その時、もう一度声が聞こえました。
 彼らを赦しなさい。彼らは自分たちがやっていることがわからないのだから。……
 私は、神様に心を明け渡したのです。そして神様は無限の愛でそれに触れてくれたのです。」
 イマキュレーは寝食も忘れて祈る事によって赦しへの扉を開かれたのだった。その扉とは、なんと死にゆく赤ん坊の泣き声だった。この本を再読して、イマキュレーが決して簡単に殺人者を赦したのではなかったことを改めて知り、赦すためには必死の祈りが必要だったことが分かった。祈りによって、その人の置かれた状況に応じて赦しへの扉が開かれることだろう。
 ついにツチの解放軍がフツを沈静化し、彼女は留置所で殺人者に対面した。すぐにも処刑することもできると言われたが、彼女は彼に「あなたを赦します」と言った。そう言った時、彼女は深い平安を感じることが出来たと言う。
 二〇一三年、『ゆるしへの道』(女子パウロ会)が翻訳出版された。ここにはその後の生活やルワンダのこと等が書かれている。

五、おわりに
 赦すためには祈りが必要であることがこの本を読んでよく理解できた。人は、自分だけの力では赦しへ到達することは出来ないと改めて思う。赦しなどは必要ないではないかと言う人もいるかもしれない。そんな罪人のことなんかどうでもいいじゃないかと言う人もいるかもしれない。私も、『深海魚』を読むまでは深く考えたこともなかった一人である。
ところで『深海魚』の作者は既に処刑されているが、被害者たちの死と遺された家族の苦しみに想いを馳せつつ、亡き罪人の為に、はたして私は祈る事が出来るだろうか。正直言ってまだその恵みは与えられていない。辛い思いで歌集を開き、読み返すのみである。以下三首は集中より。

  生きていて生きていていいのかと重ね問ふ夜陽の落ちるたび日の上るたび53p
  判決文句読点まで暗記して人にはあらぬ今日を苦しむ84p
  耐へかねて壊われ運ばる保護房を我は呼びをり慟哭の間と 35p

                      二〇二一年十月