紙に印刷した文字の文化を尊ぶ 文章教室と自費出版の明眸社

 最近、間鍋三和子歌集『流れる雲』(二〇二一年刊 第七歌集・不識書院刊)を読み、歌集の、そして短歌の一つの方向性を見出す思いがした。短歌を詠むとは一体何なのか。それが明確でないと自分にとっての作歌の継続は難しいような気がしている。すこしテーマが大きすぎるかもしれないがその辺りを念頭に書いてみたい。

 間鍋三和子さんは一九三八(昭和十三)年、島根県に生まれ、京城へ行く。一九四五(昭和二〇)年に京城より引き揚げた。七歳の時だ。「解放の喜びの声とよもせる街に幼くただに怯えき」「食糧に替へる衣のなき引揚者われら農村にありて飢ゑにき」という歌が第六歌集『ジャカランダの花』(二〇一四年・不識書院刊)に見られた。間鍋さんはおそらくは加害、被害を含め、先の戦争と全身全霊で向き合い続けて来た。そのことを私は『ジャカランダの花』によって知った。その後書きには次のように記されている。
「本書は『歴史散歩友の会』の企画による太平洋戦争の戦跡の旅に参加して詠んだ歌を中心にまとめました。現地に立って、その日の兵士たちの苦戦と、戦い果てた命を思うと涙がとまりません。また、今でも豊かとは言えないアジアの国々を戦場として戦い、家を焼き、食糧を奪ったことは罪深いことだと思います。戦争の惨めさと愚かさを骨身に沁みて知ったはずの日本が、今、集団的自衛権の行使容認によって再び戦争をする国になろうとしていることは受け入れ難いことです。」

 私は戦後生まれで、戦跡を訪れたことはないが、せめてもの追悼の為にあの戦争の多くの記録を毎年夏に読むことにしている。いまやフィリピンのブエド河やインパールのチンドウィン河の名は私の心に刻み込まれている。インパールでは、作戦に失敗し、傷と飢えと赤痢に苦しみながら後退し、やっとの思いでチンドウィン河の岸までたどり着いたが、排泄物と血にまみれ泥のなかに突っ伏して亡くなった多くの兵士がいたことを知った。私がそのような悲惨な出来事を短歌に詠んだところ、間鍋さんが共感してくださったことを思い出す。正直言って戦記を読むのは辛いが、実際に戦跡を訪れるとは、一体どのような気持なのだろうか。『ジャカランダの花』を読んだ時、敢えてそんな苦しい過去の時間の中に己を立たしめる、間鍋さんの精神に圧倒されたのだった。間鍋さんは、全てを見つめ、全てを考察し、それを詠い止めずにはいられなかったのだと思う。『ジャカランダの花』から印象深い何首かを引く。

 ・ばさばさの黒パン齧り涙湧くこの国に抑留されし日本人六十万
                    シベリア二首(二〇〇五年七月)
  虜囚列車に運ばれし兵らバイカル湖をナホトカの海と見て喜びし
 ・日本の方角に向け建てしとふ亀墓荒れて草合歓の花
                    メコンデルタ(二〇〇八年一月)
 ・窓打ちて降る雨激し雨季の山に日本の兵らいかに寝ねしか
                    インパール四首(二〇〇八年三月)
  ジャカランダの花ほたほたと散ればまたかなし国遠く死にし兵士ら
  コヒマ高地守り得ず日本兵の落ちのびしは土埃たつこの峠道
  日本軍の拠りにし丘に弾痕の数かぎりなきトタン板錆びてあり
 ・観光資源となりて沈める零戦に海波の金の光の揺らぐ
                  パラオ共和国三首(二〇〇九年三月)
  鋼鉄に鎧へるものに日本兵素手に向かひき向かはしめにき
  自決せし今際を思ふ洞窟にライター点せば蝙蝠の鳴く
  ・アラカン山脈はるかに青し補給なき戦に越えて征きし将兵
                     ミャンマー(二〇一〇年三月)
 ・地図の上に定規に引きて最短距離とジャングルの行軍の命を下しき
                    北ボルネオ二首(二〇一一年三月)
  捕虜虐待を問はれし日本軍司令官の丸腰の写真のたどきなき様
 ・地下壕の極まるところハングルに記せる鎮魂の詩のパネル置く
                     松代大本営地下壕二首
  ひとたびも使ふなかりし地下壕の掘削に死にしコリアン二百

 このように六年間にわたっての戦跡行脚の旅が精力的に続いた。照りつける南国の太陽、あるいは戦地の雨季の凄さなどは体験してみなければ到底解らないだろう。

 間鍋さんの想いはこの度の第七歌集『流れる雲』にも続いている。朝鮮、中国などを訪問している。
  南江のほとりの祠は髪あげて美しき妓生の肖像掲ぐ
  侵したる国の末裔われら来て抗日の烈女の肖像を拝す
  鎮海の波止場にはためき立ち並ぶ万国旗のなかに日の丸はなし
  蔑まれし口惜しさ告げて昂りくる君の言葉の韓国語となる
  君に会いしは対馬のアリラン祭りの日チマチョゴリを着付けてくれし
 
 朝鮮半島に旅した折の歌であろう。人々との交わりが詠われている。幼年期を過ごした地はどこか懐かしさを感じさせつつも、深い所に屈折のあることを思わせる。 

 その一方で奈良県に住む作者には、古代の歴史の流れに想いを馳せる歌が沢山ある。過去と現在が縦横に行き来しているような、臨場感のある歌は作者の豊富な知識と想像力の賜物だろう。
  ここ行きし防人思ふ山道の落ち葉もたげて銀竜草咲く
  酒を讃ふる大伴旅人の持てる手を顕たしめ天平の須恵の杯   
  嗚呼と声洩れて眺めぬ古墳より出でし竹笊の網目つばらか
  いしぶみに積む雪指に払い読む万葉集掉尾の家持の歌
                     (因幡国庁跡二首)
  天霧らし降りくる雪に傘さして因幡国庁跡を尋めゆく

 これらの知的な歌に交じり、追憶の優しさや苦さを詠んだ歌が目にとまる。

  父母の家をおほひて峪空に架かりし銀河よ永久の輝き
  おほよそに聞きゐたりしよ娘われに叱らるるは情けなしと母の言へるを

 また次のような美しい風景を詠んだ歌がさりげなく置かれている。

  坂の上に立つ白雲の繰り出すごと黄の帽の児ら下りてくる

 八十歳になった作者は老人施設への入居を決めた。静かに去る家の座敷に坐り、三十年の一人暮しを詠っている。教育者として生きた作者は、教え子の訪問にも慰められている。その後も中国、韓国への旅行をしており、人々の生活を見つめる旅行詠がある。
  
  子を生さぬ一生のおほよそ過ぎぬるか住み古る庭の木々の深みどり
  油紙の破れをテープに繕へるオンドル部屋を懐かしみ寝る
                     (韓国旅行三首)
  京城のオンドル部屋に寝かせゐし嬰児おとうと育たず死にき
  日本の侵しし歴史の死者の数旅に読む碑に知りて苦しき
  モンゴルの草原行きてどれほどの馬牛羊を見たのだらうか
  ふくらみつつわが病む窓に近づける白き浮雲に心は乗りぬ

 第三章「柊の花」に至って、私たちは作者が癌にかかって余命宣告を受けたことを知る。

  明かり高く積みあげ灯れる街の空高くを渉る太古の月が
  抗癌剤治療ならば余命一年と言はれし余命のひと日ぞ今日は
  ペリリュー島の山路に遭ひし漆黒の蝦蟇また思ふ雨降る気配
  ひとり生き独り死に行く理の寂しさひしひし夜の白雲
  五つ目の点滴の袋吊されぬ吾が上にゆるく流るる時間

 一首目、おそらくは病院の窓から見ている月は、太古の月である。人間の営みのたくましくも又はかない光景が「明かり高く積みあげ灯れる街」と詠われているのだが、その結句に太古の月が悠然と現れて来るところに凄みを感じる。
 二首目の余命宣告の歌だが、「余命」の中の一日であることが、坦々と詠われている。一日一日が余命の中にある。それは私達も同じことなのだが、癌の宣告によってより明確に規定されているのである。
 三首目はそんな闘病の生活の中で、ペリリュー島で見た蝦蟇の姿が、実に生々しい。さながら命そのものだ。
 四首目の「夜の白雲」は寂しさがこころに迫ってくる。雲は絶えず流れ、その姿を留めないにもかかわらずその夜の雲は詠うことによってここに永劫の姿を留めたのだ。
 五首目の、点滴の一滴一滴の中に流れる「時間」。
 詠うとはどういうことなのか、詠い止めることによって、歌の三十七音に刻まれる何かがある。それは、「夜の白雲」の、そしてまた「流るる時間」の中から立ち上がって来た。
 歌はまことに瞬間を刻むものだと思う。そこには作者の向き合った現実を読者の心に直截につたえる力を感じる。「理」をこえた何かを私は感じる。そのような命の瀬戸際に立った時、自然は思いもよらぬ別の素顔を見せてくれるのではないか。例えば、次のような歌がある。

  流れこしひとひらの雲ばら色に染まりて月のあり処を知りぬ
  生きてゐる命に沁みて鳴くものか草生の細き鉦叩きの声
  一切の途絶を死とし思ふ時沁みて美し冬空の青
  吹く風にたをたを揺るる花の枝の下行き戻る今日の日の贅
  道ふさぎ小春の日差しに薄紅の蛇横たふ瑞兆とせむ
  涅槃とはかかる静けさ仰臥して無心を保つ窓に浮雲
  点滴の架台を曳きて見に来たり廊下の窓の空の満月
  またの秋の命の約束あらざれば目を凝らし見る十五夜の月
  床にさす春の日影にはだしの足揃へぬ病みて生白き足
  平らかに若葉の並ぶ楓の枝透し降る陽を両手に受けぬ

 詠うとはどういう事なのか、考えながら引いてみた。正にこれらの歌には日常の生活からは見ることのできない「命」の時間が感じられる。当事者にのみ詠いうる限界の歌でありながら世界との融和が感じられることに、驚く。月も雲も、すべてが作者に語りかけているような気がする。その一方で、春の陽ざしをあびてくっきり見えた自らの生白い足を、まるで異世界から現れているかのように詠っている。美しい陽を両手に受けている姿はなにかメッセージを受け取っているようにも思われるのだ。
 
 戦跡を辿る旅ではそこにかつて存在した人々の苦しみと嘆きを、同じ空間に立つことによって理解しようとした作者の思いが伝わった。そして今、癌の宣告を受けた作者は入退院を繰り返す闘病生活のなかで読者のもとへと類いなき作品を届けてくれた。
 間鍋さんの姿勢にはゆるがぬ歌への信頼がある。近藤芳美によって鍛えられたアララギの着実な詠み。そこに間鍋さんの豊かな世界が加わった。最後に、突き抜けた清々しい境地を感じる歌を。

  次の世は小鳥に生れなむ蒲公英の綿毛静かに風待ちてたつ 

                               2022・1